リストカット
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リストカット、不登校って、子どものせいなの?
子どもだけ変えようとする親、
自分は変わりたくないと思っている。
自分にあてることのない指を
子どもに向ける。
たしかに、大変だよね。
もう、手詰まりって思うかもしれない。

でも、

そうじゃない。
わかってみれば、簡単なこと。
わなにかかっているだけです。。。


「リストカット(2616)」

手にできないものか

なぜ欲しいのか
痛みを伴うものなのか
なにをあなたは
探しているんだろう。
探すものが
みえたなら
つくれるかもしれない。

「リストカット(2938)」
苦しくても
つらくても
全てなにか意味がある。

寒くても
痛くても
自分で選んで生まれてきた。

なにかを見つけるために

わざわざ

それを選んだ。

見つける力があると信じた。

自分の素晴らしさを信じた。

でも、ひとりじゃ、たいへん。

愛があれば、のりこえられる。

愛は、ひとりでは つくれない。

でも、あなたはすでに繋がっている。

それに

気づけばいいだけ。

それが、なかなか、むずかしい。








 リストカット・アームカットという行為があります。
「自分が愛せない」と言えばとりあえずの説明はできるんでしょうが、どうも違う。
 愛してほしい、きちんと関わってありのままを愛して欲しいというのが思いだと思うけれど、思いがねじれていきます。
 つまり、彼女たち(女性が多い)は、なにかきっかけがあります。
それは、攻撃されたということ、たとえばレイプや暴力、あるいは恋人から中絶を強いられたりというものが あったりします。
もうひとつは、とうぜんあるべき愛がないという、相対的な攻撃。
つまり、親が本来は愛してくれるはずなのに、愛してくれない、恋人が、夫が、親友が、友達が、地域が、、、 、話しを聞くと胸がつまるくらいに冷たい。

 そこで、2つのこころの動きが生まれてしまっていると感じます。
 見ていると、美容整形と、小さな子どもが頭にリボンをつけるのと似ているような気がしたことがあります。
ほんとは、そんなんじゃないのに。。。
「自分が悪いからだ」と「もう傷つけないで」。
自分が悪いということはないのです、本当は。
本当は、せめられるべきは加害者です。
でも、戦うことができない。たった、2%の自分の落度で、全部を引き受けてしまいます。
 「もう傷つけないで」は自分が今、傷ついていることを見せたく思うのかもしれません。
もう十分に傷ついているので、もう傷つけないでください、と言いたいのでしょうか。
ある意味、だれかの人間性に訴えようとしているのかもしれません。
こんなに、もうきずいているから傷つけるのはやめようとか思う人間性に訴えようと。
あるいは、守ってあげたいという気持ちも求めるひともいるかもしれません。

 オーバードースは「自分を嫌い」とか「自分を罰したい」気持ちがあるように感じます。
でも、あなたをそのままで好きなひとはいるからね。

普通に暮らしていると、自分なんか必要ないんじゃないかと思う場だらけです。
失業して、なんどめかの面接に落ちたひとが休む場所があるんでしょうか?
 とにかく、ありのままを受け入れる社会ではないです。
 だから、逆に、ありのままを受け入れられる社会はつくれなくても、 ありのままを受け入れられるひとにはなれるかもしれません。あなたは。自分は。

 やさしいひとを、さがして歩きつかれたなら、さがさないほうがいいでしょう。  やさしいひとに、そのひとりになれるかもしれません。


リスカ経験者だからこそできること



自分の心の傷にしっかりと向き合い、それを癒していく
起こっていることにはすべて意味がある
それには、ひとりより、ふたりでいたほうがいい。

「聞く」には
いちばん大事なのは
聞いてもらうことです。
スキルではなく。
しっかりときいてもらったひとは
腕組みをしてようが、
うなづかなかろうが
しっかりときけている
現実があります


リストカットは本人の問題ではない
「リストカット(8312)」
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リストカットは本人の問題ではない●
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リストカットやうつ病などをかかえているひとの多くは、体感的に95%は本人の問題ではない。
「この子が、リストカットという問題をかかえているんです」と言っても、よく話を聞いていくと、問題はそのおかあさんであったり家族であったりする。 つらいことをつらいと言えない環境であったり、リスカというメッセージすらきちんとうけとめられない親もいる。

ただし、親もまた、親だけの問題ではないことが現代は多い。しわよせがどこにきているか。それだけのことであって、もともとは日本と言うシステムの問題であることが多い。
内観という手法がある。
まわりは「なにをしてくれたか」、まわりに「なにを返したか」 その両方を静かに拾っていく。
たしかに、100%の愛ではないかもしれない。
でも、そうやって生きているということは、それは親に限らない、だれかがなにかをしてくれていることがある。
たった、5%の愛かもしれない。
それが、せいいっぱいの親もいる。
ひどい親もいるとは思うが、体感的にそういう親はそんなにそんなに多いわけではない。
わかりあえるのにちがう方向でひきあっている。
なぜか?

相手のことを見ていない。
その前に
自分のことを見ていない。
つまり
現象だけを見ているだけだからだ。

その責任比率は
親95%。
子ども5%。


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▲リスカ経験者だからこそできること
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コーチングにはカウンセラーの技術が使われます。
コーチングカフェの参加者の中にもリスカ経験者がいらっしゃいます。
わたしは、▲リスカ経験者だからこそできることがあると思っています。
よく、リスカのページには
あたしは生きている価値がないとか、
いなくていいとか あります。
自分はそれは、あるメッセージだと思っています(別記)。

ここで、バッチリメディというのを紹介します。
これは、花のエキスで心理療法効果があるというものですが、
ここの「考え」が参考になるのです。
つまり、バインという花に象徴される性格は
リーダーシップであったりしますが、
それが悪くでると
独裁さだったりします。
潔癖ときれいずきもおなじような、よく出ていると
と、悪く出ているだけという考えです。

さて、リスカですが、
それは、なにか(リスカは現象なので、理由はさまざまなので
固定できんです)に、重きを持って見ているから
それが悪くでていくのが リスカであって、その方向は
同じで よく出ると

すごいカウンセラーになれたり、ひとの気持ちをきちんとくめるひとになれたりする可能性が、ふつうにころがっているひとよりも価値があるのです。 きれいずきでないと、潔癖症にはならないように、
あるものの価値をちゃんと知っている
そのことに
きちんとリスカのひとは
自信をもつべきだと思います。

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コーチングカフェではリスカ中のひとにはコミュニケーションスキルだけしかおこないません。
とことん聞く、とことん付き合うだけ(?)です。プランニングはおこなっていません。
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こころ
からだ
精神
言葉で嘘はつけてもからだは教える