■傷になる◆昔の話の取り扱い方  
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●あるコーチングのワーク。
 あるコーチングのワークでも自分の昔の話し子どもだたころの話しをさせ、それを 対面したもうひとりがあいづちもうたずに目をあわせないで聞くというのがあった。
話しにくい。
 それを知らせたいのだろうが、この経験はワーク受講者には傷になる。このワーク にしくまれたわなは「こどものときの話し」という、話すからにはきちんときいてほ しいことを話させるからすごくショックをうける。目線やうなづきが大事ということ をしらせるためにしくまれたわなだ。
 もしも、これを幼児期からそういう育てられかたをしたとか、クラスで無視をうけ てことがあるということは今はあまりめずらしいケースではない。よって、「セカン ドレイプ」になりかねない。

 また、たとえば、ひとには話したくない自由もみとめられるべきというハコミセラ ピーではありえない(ハコミでは無理をしない。自然な流れを変えようとはせず、む しろそれを支援するようにする。自己表現することに照れを感じがちな日本人にも無 理の無いとても繊細な心理療法)。
 山崎朋子の『サンダカン八番娼館』のラスト(映画にもなってます)「。。。けど な、おまえ、人にはその人その人の都合ちゅもんがある。話してよかことなら、わざ わざきかんでも自分から話しとるじゃろうし、当人が話さんのは、話せんわけがある からじゃ。。。。」というおサキさんの言葉の後にもあるように、、「軽率で思いや りない」ワークに思えた。
 (おまけに、参加した1週間後に「ほめて認める」の講演におこしくださりありが とう。「ほめて認める」を実践しろとなんども書いたはがき(封書ではなく、オープ ンなはがき!)がとどきいた。ああ、実践したひとのところに一斉にこれが届いてて、 いろんなところで、「なーんだ、このあいだあたしをほめたと思ったら、本心からで なくて、これだったのね」というがっかりがおこったろうなと思った。)