挨拶から
挨拶ができていない会社というのがあります。
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●こんなことはありませんか?
 上司が 部下ががどんなに忙しそうにしていても手伝わないということはないでしょうか?
 声は出していますか?
 笑顔が上司にあるでしょうか?よく笑いますか?
 部下と昨日顔を見合わせましたか?
 現場に立っていますか?
 だいたいにして、上司は仕事はできますか?
 上にへつらわない、陰ひなたのある上司ではありませんか?
 事務所にこもりっきりで、
  現場に出たら出たで邪魔なばかりの上司ではないでしょうか?

●そんな上司はいくらコーチングの会話テクニックで質問をなげかけようと、
部下は「無視」です。「勝手に言ってろ!」と思います。

動きません。では、どう改善したらいいのでしょう。

傾聴のスキルでしょうか?
ほめるでしょうか?
「なるほどぉ〜」という会話ですか?
気の効いた質問ですか?

    ちがいます。
     きっかけになるかもしれませんが、
     根っこがない花はすぐ枯れます。

これは、わかれば簡単なことなのですが、
知識ではなく、頭での理解ではなくこころで「感じる」ことではらにすとんとおちることです。

●たいていは、上司が部下に挨拶をしていません。
コーチングうんぬんといっても、いくら大枚をはたいて研修をうけようが、
部下が上司に頭をさげるのが精一杯というような環境では、コミュニケーションが機能しません。
●挨拶に表現されるのはつながりです。  それは、上司と部下はつながっているということなのです。
 本来であれば、慈愛で、そのつながりを喜べるものなのに、姑息にも目の先の楽や欲で目が曇るのです。
 つながりを知れば、上記に書いたような態度はできるわけがないのです。
 たとえば、イメージとしていうならば、あなたとだれかがいたとして、
 頭の上で、守護霊同士が(天使同士が?光り同士が?)本音で話しているというイメージです。
 下のほうで、「なるほどぉ」と言っているのに、上のほうで「まったく、くだんねぇこといいやがって」
 と思っていると、それは、わかるのです。伝わってしまうのです。

 仙台コーチング協会では後ろのほうで、EQ,
慈愛のところでこれをやりますが、
最近、これって、だんだんいっちばん最初にやらないといけないのかなと感じています。

つながりを、実感できない状態でスキルを入れると、
すごく嘘臭いものに拍車をかけてしまうことさえあるからです。

つまり、慈愛の上に構築しないスキルは
関係をこじらせる可能性さえあるということです。


●挨拶はだれにでも許されるものです。 選挙の朝の辻立ちはこれです。
挨拶からはじめます。
挨拶はだれでもがやっていいいこと
やろう。
挨拶って、年賀状みたいに
やっていいことなんだよ。
知らない人にもやって 許される。
すごいなぁ。。。

●挨拶のあとに、
感謝、
ほめる
質問
 と続いていくことができます。
   ===>愛にはぐくまれていくということです。

●つながりがみえないと
、  自分がすべてになります。

 たとえば、自分の不幸ばっかり見えます。
 自分の不幸ばっかり見ていると、
 まわりの不幸をみれない、ほかのひとをシアワセにとは思えません。
 これが、だれかが忙しそうにしていても、手伝わない、手伝わない気まずさを感じたくないから
 忙しそうなだれかを見ても、気づかないふりや、自分も忙しいふりをします。

 シアワセになるために生きるのだけじゃなく、
 ひとをシアワセにするために生まれた自分でもある。なんて意識は生まれません。

●今死んで。  今死ぬと思って、まわりのひととかものとかを見ても、それは、本当に
 感謝に値しないでしょうか?

 今与えられているものに感謝できない。。。


   うーん、神か悪魔が与えたものかどうかというのはあるが、
   すべてが悪魔があたえたもので構成されているということはきわめて異例なはずだ。