ハッピーの原理
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浅見帆帆子【大丈夫! うまくいくから】を読んで

簡単な一歩のヒミツ。
浅見帆帆子さんのメッセージを
あえて左脳的に読み解く。

●日常の中で「挨拶」などを実行する
浅見帆帆子さんは本のなかで、日常の中で実践できる「掃除、挨拶、感謝、悪口を言わない、キープスマイル」といった簡単な事を提案しています。 この、簡単な一歩だけを見ると、それは古くは『キング』といった本に毎月のように付録に着いていた格言集やことわざの部類を見ても、すでに言い古されている事で、 「あー、それは気付かなかった。そんな裏技があったのか!特許を申請したら!」といったようは「お初」なものではなく、「そうそう、そうだよね。あたりまえなんだけど、ついついしなくなってたなぁ」と思うようなことであったりします。
 しかし、浅見帆帆子さんの真のメッセージは「自分の精神レベル以上のことはおこらない」 「精神レベルを高くしよう」で、そこにこそ浅見帆帆子さんのオリジナリティがあるようです。

●精神レベルを高くする
 彼女の絵にもあった、なかのくびれをいくつももつチューブのなかを、次々と次の精神レベルの高い集まりの場にくぐり登っていくというように、精神レベルをあげていけば、そのレベルの人の仲間に入る事ができ、そのひとたちのいる場でおこることを享受できる。つまり精神レベルが高いほどいいことが起こるので、精神レベルを高くするがいいことを享受できる。という思想だと考えられます。
●それはなぜか?
 さて、それはなぜかについて、読みといていきますと、 それは「類は友を呼ぶ」ということと「花粉は蜂が、運はひとが運ぶ」ということになります。
これが、かなりスピリッチュアルなステージで実現して行くというのが彼女のメッセージです。
●「類は友を呼ぶ」
 言葉を代えると「ひとはそのひとにとって『いいなぁ』と思う人のところに行く」ということです。
 たとえば、眉間にしわをよせてため息をついているひとと、笑顔でこちらに向けてほほえんでいるひとがいます。あなたは、どちらに行きますか?  あなたをどうやら嫌っているらしいと感じられるひとと、あなたのことをおりにつけほめてくれるひとがいたのならば、あなたが持っているケーキをどちらのひとにあげますか。  そうです、ひとは、気持ちによって行き先を決めます。
 ここでの着目点は「どちら」を選ぶかではなく、「気持ちで」選ぶということです。
 結果、眉間にしわのひとのまわりには眉間のしわのきらいなひとは集まりません。
みんなのいい点をみとめてくれるひとのまわりには、みんなが集まります。
 
 行き先、は、その人個人個人の好みの問題です。これは、地獄極楽を選ぶ輪廻転生 のときの理論と同じです。つまり、ひとは死ぬと、そのひとにとって心地のよい光に みちびかれていくのだそうです。それが、あるひとにとっては、天国であったり、畜 生道であったりするわけですが、そのひとにとってはいちばん心地のよい光にひきよ せら れてしまうのです。つまり、地獄には、そうしたひとたちが集まり、天国にはそうし たひとたちが集まるのですが、地獄に行くひとは地獄の光に惹かれて行ってしまうの だそうです。

●ひとはひとによって温まる。
「花粉は蜂が、運はひとが運ぶ」
 さて、人間社会はひとによって構成されています。
「天下り」や「コネ」があるのは、その「ひと」が、仕事を運んでいるからです。
 ひとが介在しない、コンピュータが品質と価格を並びかえして発注するだけの社会 であれば「天下り」や「コネ」は意味がなくなります。
 しかし、現実は「ひと」が仕事も生活も介在してなりたっています。
 だからこそ、さまざまな場で、「結局ひとだからな」とか「結局人間性の悪いやつ はだめだ」とかいう話になるのです。
 ひとというものが、なにかにつけて重要な要素になるのが人間社会です。
ひとが、運も不運ももってくるのです。そして、いいことをもっているひとというの はどういうひとか、わるいものをもっているひとはどういうひとかということになり ます。
 つまり、どっちのひとがあなたをめざして来るのか、あるいは、どういうひとに向 かってあなたが交流をしようとし受け入れられるかが、「幸せ」の結果を左右するこ とになります。

●浅見さんの話に戻りますと、「掃除、挨拶、感謝、悪口を言わない、キープスマイ ル」といったことを実践しているひとがいるとします。
そのひとは、そういうことが好きなひとが集まってくる事になります。また、いった ん知り合ったひとたちに、「掃除、挨拶、感謝、悪口を言わない、キープスマイル」 といったことをもってかかわりを持ちつづけてもらえるのです。
 これは、一般的に言うと、「明」です。たとえば、身の回りをきれいにしようとす れば、そういうことをいいなぁと思うひとが集まります。つまり、「明」が集まりま す。
 この「明」を精神レベルが高いと表現されています。
 
 皮肉屋タイプの落語家もいます。不平を言い合うのが趣味のひともいます。それは、 いいわるいではなく、そのひとそれぞれの嗜好の問題があるということです。
 「ひとはそのひとにとっていいなぁと思う人のところに行く」ということなのです。

 ただ、今という時代が、皮肉屋タイプや不平を言い合うのが好きな人のところがな かなか報われにくい時代だというだけのことです。だから、運を開こうとするならば、 皮肉はやめなさいね、とか、不平はいわないほうがいいよとなっているだけのことで す。

●さて、そうはいっても「明」ばかりやってられないということもあると思います。
 めんどうくさがりやであったりすれば、そうなるかもしれません。それは、それで、 そのひとにとっての「明」が100ワットではなくて、40ワットなので、その明る さの人たちの中でいるのが、ある意味自然です。分相応なのです。
 ですが、すこし、ストレッチして、すこし上を目ざしていると、それに慣れてくる というのも真実です。慣れたらまた、上を目ざすことで、40ワットが100ワット になります。
 
●自分の意思と関係なく、「暗」におかれているひともいるでしょう。
 リストラでも、家族の病気でも、貧困でも、家庭の事情でも、いろんなことが、 「そう はいっててもキープスマイルなんてできない」ということになります。
 その「暗」の場にいて、キープスマイルは、満たされた状態のひとの笑顔よりも多 くのエネルギーを必要とします。
 ですが、自分の「暗」の環境から抜け出すためには、暗をひきよせてしまう暗をそ れはそれとしてしかたなくあることなので、そうなる自分を認めてあげたうえで、そ の悪循環を断つために、「明」のカードを出す。これが、自分で明に転じる方法にな るわけです。
うまくいかないときに、「次いってみよー」と切り替える発想と同じです。だめなものにこだわって、未来をだめにしてしまうことはありません。

●浅見さんの実践は「あなたにとっての運をもっているひとたちが「いいなぁ」と思 う事を実践しなさい」ということなのです。それが、「掃除、挨拶、感謝、悪口を言 わない、キープスマイル」といったことなのです。

●床屋に行くと、カラーリングをすると、自分がすがすがしくなる
 さらに、「ひと」のなかには、他人ばかりではなく、自分も入ります。
「掃除、挨拶、感謝、悪口を言 わない、キープスマイル」といったことで自分をファ ンにすることになります。
 自分の鎖をほどくのです。それは、欲にまかせるというのではなく、自分がそうい う自分が好きというものをすることです。
 悪事が好きでも、後ろめたければ、それは自分をなおさら鎖でしばるだけです。  挨拶をかわす自分をいいなあと思う、ちょっと部屋をきれいにしたらすがすがしかっ た、それは、自分の鎖をときます。
 自分の鎖がとけると、そんな自分に「まかせる」ようになります。
 行動に対する「すくみ」がなくなります。
 そのことによって、自分の本当の実力が発揮されるのです。
 そして、たいていの人間がいいなあと思う事、それが、「掃除、挨拶、感謝、悪口 を言わない、キープスマイル」といったことなのです。