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紹介:私達がベースにつかわせてもらっているカフェc7

http://homepage.mac.com/cactus27/cha/words5/nikki_207.html

その立ち上げにかかわった、キャンドルアーティスト
のHP
http://www5e.biglobe.ne.jp/~ivoryaya/   
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20日の日記 (AM 08:51)
蛇とピアス→クライアントは***嬢
昨日、NHKで蛇とピアス、蹴りたい背中から、若手に食指をのばす出版界というネタ
をやっていた。文芸社が「若い世代の感性に期待する」というようなことを言ってい
たが、、、、。
ある出版社は(文芸社とは言っていない)、本になる原稿をさがしていますという広
告で全国から応募を待つ。これは、すべてを出版社が費用をもつ企画出版と、費用を
折半する共同出版と、すべて著者にもたせる自費出版にわけれるというふれこみになっ
ている。しかし、現実は、ほとんどが、共同出版と言う名前で、金額を見るとそれは
費用の全額以上に著者がもっているものに流される。そして、目玉になりそうなもの、
あるいはわざわざ依頼して、企画出版のところに流す。さらに、全国の契約書店に専
用の本棚をあけてもらっていてコーナーをつくっていて、そこでつくったものは全国
に並ぶと言うふれこみだ。と、こ、ろ、が、 ある暴露があった。著者が書店に電話
をすると、そこにはマニュアル化した同じ台詞がかえってくるのだ。「はい、その本
は、評判で、ただいま品切れしています。ただいま追加は発注中です」。
 あたまをつかえば、わかる からくりだ。
いままでは。これを自分史をだしたい高齢者がターゲットだった。
 「若い世代の感性に期待する」という言葉をどう感じるだろうか?

さて、「若い世代の感性に期待する」という言葉を別な観点でみてみたい。
この本が指示?というか、この本を見て安心する若者は、おばさまが婦人公論やひめ
ゆりの塔展を見て、自分の生活に安心するシステムと似ていると思う。

今度「自分を知る」というのをやるが、その際に2つのアプローチがある。自分の上
をみるか、今をみるかだ。つまり、理想とするひとを描いてみていく、そして今の自
分をみる。蛇にピアスは、どの方向を向いていると思う?上?平ら、??下?


「若い世代の感性に期待する」の感性なんだろうか?
ただの現代の病理が一番抵抗力がないこどもに出ているだけと思う。


★失業者こころの病になって当然★45歳をこえると再就職困難者と呼ばれる。
面接からかえったとき、
死にたくなるひとだっていると思う。
ひとが大事にされてない、時代。
だから、大事にしてくれる?
官僚や銀行めざして学習塾。。。


しかたない▲ 「水商売/ホステス/キャバ嬢(365)」
[ カテゴリ未分類 ]
 コーチにとってクライアントはレースに参加中の高橋尚子です。だから、それは、こっちのほうがいいと誘導するというのは、選手を車に乗せてしまうようなもので、許されません。
 ひとことつけ加えると、風俗嬢はもっともっとてんぱっているいっぱいいっぱいの状態のひとが多いです。つまり、マラソンの選手どころか、ロッククライミング中なのです。
 ロッククライミング中のひとに外野が「それはやめたほうがいい」「あぶないぞ」とか意見する意味はありません。かえってかけ声自体があぶないくらいです。
 ただ、遠くから「落ちないように」祈るしかない。それでも、「それはやめろ」と言えるのは、たったひとりその岩を一緒にのぼろうとしているひとだけに許された行為です。(だから、風俗嬢たちはそれを十分知っているから、お互いの過去のことにも意見をしません。「しかたないよ」と受け入れあうのでしょう。「しかたないよ」というのは、意見しあえば自分にその指が返ってくるからという見方もありますが、彼女たちの場合は自分で決めて覚悟している姿でもあります)。
なにを探しているんだろう?   :臨床
02月17日(火)




●「頭でわかっても体が動かない」
 一方ワークシートは「臨床」です。
 ある資格会社の教授方法でほとんどの受講者が感じているのが、「頭でわかっても体が動かない」という現象です。
 個人個人はそれぞれがユニークな存在ですから、それに対応しなければいけません。 100円いれればでてくる、販売機のジュースとはちがうのです、
また、逆の見方をすれば、ユニークなので、そのユニークさを利用することも考えるべきです。
つまり、クライアントをよく観察して、会話の癖や、迷信や、価値観など、使えるものはみんな使っていくという方法をとります。

このときに、有効なのが、臨床です。「床」に伏せっていないので、その言葉はすこし違和感があるのなら、実技です。

●成功例を持つ。
 コーチやカウンセリングにとっての一番の上達方法は成功例を早くもつことです。
 スキルのたかいひとから一方的に講義を受けるよりも、同じレベルや後輩や仮のクライアントとの試行錯誤のなかで成功例を目指すほうがいいのです。仙台コーチング協会のシステムのなかにコ・コーチをいれているのはそういう理由です。
 ところが、いざとなると、なにも武器がないように感じてしまうので、有効なのが目に見えるワークシートなのです。
 これは、クラインアントをあてはめるのではなく、ワークシートをたたき台にして自分なりのワークシートをつくっていくつもりで、セッションに臨んでください。

******************
ありのまま ひとそれぞれのペースをみとめる
 ありかたをみとめる
 ひとを大切にするには、自分を大切にすることが近道です。

 ここは、ハグのところでも、説明していますが、
「▼ひとは必要とされる必要があります。
 ひとは愛されていない、必要とされていないと感じるときに疲れます。
 ひとの気持ちがいちばん癒されるのは、自分のこころを包んで受け入れてもらったときです。
」です。
 ところが、この時代はかなりいかれています。
 つまり、ひとがひととして大事にされていません。あるいは、そういう大事にされないケースにでくわくことがすごく多いのです。
 概論のところでも説明していますが、アメリカのように傷つけあう闘争し勝ち残っていく社会に日本がなりつつあります。それでも、そうした勝負になじめないひとや、あるいは、その勝負にやぶれたひとは行き場や居場所がないのです。
 アメリカのようにカウンセラーも気軽にいけません。
 教会だって気軽にいけません。日本は寺文化だから、ぼだい寺に行っておしょうと話すというスタイルがあったけど、いまはありません。ほとんど葬式のための宗教でしかない。
 親子関係もどうも薄い。この世相では塾に行っていて交流がなかったりする。絶対的に、家族ですごす時間が少ないようです。
 友達もあたりさわりはないけれど本音で言い合いません。言うと傷つきやすいからいまひとつ遠慮がち同志の会話になっています。
 
 そうしたアメリカ型社会では攻撃的なタイプが強い。
 かなり自分を出すパフォーマンス型の人間、自分が絶対正しいと考えている攻撃型が生き残っていきます。
 理不尽な世の中は、往々にしてそういうタイプのひとが主導して社会を創っていきます。
 平和型や、争いがいやなひとにとっては、生活しづらい。みんなが、リングにあがらないといけないようになっています。リングにあがって勝った人が安定やお金を得る様になっています。
 やさしい思いでボランティアやNPOをやっているひとたちが、手弁当で汗を流して、そのまわりにいるのは生活の保証された役人様が出張費までもらって、そのイベントに関わったイベント会社やコンサルの用意した弁当を食べているような世の中です。

 失業者がいます。45歳すぎるともう再就職困難者です。女性は30歳越えるとなかなか正社員の口がありません。一方で、弟が議員やってますなんていう50代のおやじが、なぜか国の出先機関に入社とかはある。ぜんぜんフェアじゃない。

 

ひとには4つの枠があるという話はどこかに書いてあります(どこだ???)
まあ、その4つの核になるとこのポジティブで見るべき、内なる活火山に気づくと、表向きの目標ではなく、本当の目標が見えてきます。
これをみつけつ方法として、
自分史やわくわくさぐりというのはまだ左脳を使うところですが、コラージュになるとこれは右脳におまかせの感じがします。

さて、コーチングのセッションでは本当は核となる本質を見るのが本来のすすめかたなのですが、入りやすさからすると逆にまあ、とりあえず今はこうやってんだけどという
現実の分析です。
現実には、夢がかなっているひと
なんとはなしにまあ、本質のところが叶えられているひと
とりあえず生きているひと、
なんでこんなんかなぁというひととさまざまです。
これは、

*****>リライト!

★アメリカ手法でいいのか???
コーチングが必要になってきたのは事実だと思います。
これは、良く言われることですが
「ふすまの文化から壁の文化になったせい」

ということがあると思います。

ふすまという、なにか隣の感じが察することができる状態から、欧米の壁という生活様式になったことが象徴となっているように、日本人が他のひとのことを察する能力がなくなってしまった。

それなので、欧米、とくにアメリカ的にテクニックに走っているように感じます。

個人的には、まずは察する力をとりもどすことが大事だと思います。
簡単に言うと観察力。
そういうのがなくて、ただほめるとか認めるだとか言葉先行のワークがありますよね
たしかに、姿勢を背筋伸ばしましょうっていうくらいだとわかるんだけど、
  なんかいいかげんなコーチングセミナー多くないですか?
  で、なぜか、あるコーチングセミナー会社の出身コーチが
  そういうワーク多いんだよなぁ。。。
  もととらなきゃと思うかもしれないけど、罪作りな会社だなぁ。
  認定の基準っていうか、試験の内容ってどうなってんだろ?
  っていうか、ああいうことしてっから
  資格はあっても「自称コーチを名乗っているひとが多い」って
 言われたり、コーチ協会で「品質がどうしたこうした」と
 なるんだと思うがなぁ。。。
 

 日本には「なきながら叱る」っていうことがあるでしょう?
 相手に合わせるのに、こころがついてかないと、ただ、調子のいいホストと同じじゃないですか? 
表面の会話をまねるだけでは、カウンセリングと比較していけばいくほど底が浅く感じられてしまうと思うんですよ。

これ、EQのところにも書きましたけど、
アメリカって、ちょっと形さえなんとかしちゃえばいいというところがあるから、日本ふうに直したほうがいいと思います。

形より、そのハートを理解できるようにしないと、資格はあるけど自称コーチって、まだまだ増えるんじゃない?

苦しくても ●PP
02月04日(水)



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「寝返りしなーい」「ハイハイしなーい」「立っちしなーい」「歩かなーい」。
あともうちょっとそのまんまにしていればできるようになる。
よその子と比べない方がいい。よその子なんだから。「よそ」なんだよ、よそ!。
 よそは早くできても、そいつって、きっと大人になったら、「ふけ顔」になるぞ。
 「○○ちゃんはできるのにあんたはできない」「おにいちゃんはできてた」と比
べられると、子どもは傷つく。大人だって傷つくよ。
 そうなんだよねー、「○○ちゃんのおとうさんはなになにしてくれてる」とかね。比
べられると、傷つくよ。
「○○ちゃんのおかあさんはもとJJのモデルじゃん」とか言いたくなるよね。
 それに、「できないこと」だけ見ないで、できたことのほうを見てたほうがいい。
 年齢からいって、まだまだできないこともある。ボタンがとめられない、靴がうまくはけない、速く走れない、、、。
 おとうさん!あなただって、その歳になってもできないことあるでしょ。




***:今日の打ち合わせ内容

●ポジティブの負担について=>安心感
マイナスから抜けれなくなっている場合、いくらポジティブなことを見ても、それは上塗りになってしまうかもしれません。そうすると、ポジティブなことが逆に負担になります。
「そんなことないよ」の安心感が必要です。
「100%の愛だけがよいのではなく、10%の愛にも価値がある」ととらえれなくなっているなど、柔軟になれなくなっている場合もあります。
 いちばんに「安心感」。だめな現実、つらいことに対して「そんなことないよ」の安心感を持ってもらうことを1回目の目標にしたいと思います。
●安心感を与えるときの注意
ただ、その場合、「大丈夫私は見ているから」、とともに、「私だけじゃないからね」ということも伝え、依存をまねかないことも必要です。

いろいろな体験をして大人になる
12月29日(月)


テーマ「保育園のこと(1698)」

●●●自分を受け入れてくれる親がいる。
 子どもはいいこともわるいことも、あんぜんなこともやばいこともいろいろな体験をして大人になる。(村上龍の本を読んで不安になることないぞ)。スポポン!と、なにもなく大人になるのもありだけど、それだと、トラブルにまきこまれたときにはもう処理能力が弱い大人になってしまう。
  風俗につとめる女の子たちが一貫して言うことは「ここ(風俗)にいると、自分を自分のままうけとめてくれる」「どうしてそんなことしたかって聞かない」「なんでも『しかたないよー』と言ってくれる」。
 たしかに、問題ありの発言なんだけど(だって、風俗にいる同志が「なぜ」とききあうことは自分も「なぜ」と問われるってことだから。「しかたないよー」で流すのは当然)
 大切なことは、人間はありのままの自分を受け入れてくれるひとをさがす。セックスなんてのは、裸でだきあうわけで(たいていは)、それってそういう象徴でもあると思う。ありのままの自分を受け入れてくれる親がいて、そのベースの上で失敗しながらも、1つづつ成長するのだ。