■傷になる◆昔の話の取り扱い方  
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●あるコーチングのワーク。
 あるコーチングのワークで、自分の昔の話し子どもだたころの話しをさせ、それを 対面したもうひとりがあいづちもうたずに目をあわせないで聞くというのがあった。

話しにくい。
 それを知らせたいのだろうが、この経験はワーク受講者には傷になる。このワーク にしくまれたわなは「こどものときの話し」という、話すからにはきちんときいてほ しいことを話させるからすごくショックをうける。目線やうなづきが大事ということ をしらせるためにしくまれたわなだ。
 もしも、これを幼児期からそういう育てられかたをしたとか、クラスで無視をうけ てことがあるということは今はあまりめずらしいケースではない。よって、「セカン ドレイプ」になりかねない。

 また、たとえば、ひとには話したくない自由もみとめられるべきというハコミセラ ピーではありえない(ハコミでは無理をしない。自然な流れを変えようとはせず、む しろそれを支援するようにする。自己表現することに照れを感じがちな日本人にも無 理の無いとても繊細な心理療法)。
 山崎朋子の『サンダカン八番娼館』のラスト(映画にもなってます)「。。。けど な、おまえ、人にはその人その人の都合ちゅもんがある。話してよかことなら、わざ わざきかんでも自分から話しとるじゃろうし、当人が話さんのは、話せんわけがある からじゃ。。。。」というおサキさんの言葉の後にもあるように、、「軽率で思いや りない」ワークに思えた。


あまやかし


あまやかし、あるいは、罰
この2つを振り返ってみてほしい。

たとえば、あなたが待たされることにすごく弱いとか
あなたが仲間はずれにされることをすごくいやがるとか
そういう、ちょっと他の人よりも弱いところが
そのあまやかし、あるいは、罰と符合していないだろうか?

子供時代に十分以上にべったりと育っていると
さばさばしたつきあいに空虚感をもったりする。
あるいは、
子供時代に、スキンシップも不十分すぎる場合でも
さばさばしたつきあいに空虚感をもったりする。

逆に、そういうところが 適度だと
べつに、さばさばしたつきあいをされてもなんも感じない。
それにさしたる「価値観」を認めないから。

子供時代の罰、だけでなく、
小学校の時の友達との会話とか
よく聞いた歌の歌詞とか
テレビの内容とか、
大人になってからの恋人からのひとことだったり、
それが傷になる。

でも、そうした傷は
そのひとが乗り越えられない傷は与えられない(はず)。

その傷をのりこえたとき、それは大きな宝になる。

そして乗り越えるためには愛が必要だ。
なくてもいいけど、ないとかなりストイックにつらい。
誰かが必要だ。

慈愛。という。

だれかといっしょに自分の傷を見つけたり
直していく、認めていく、
受け入れていくことで、
その傷は宝になる。

スノーマンの残していったマフラーのように
せつない思い出が
今度はだれかを暖めることのできるものとして
残る。

傷は誰にでもある。
わざわざ傷を受けにこの世に生まれるからだ。

その傷が学びに繋がるという見方もある。

傷があるおかげで、
ひとは誰かを
大切に受け止めることができるようになれる。

傷にきづかないと
がははと笑っていても、
それは笑いではない。