●父子手帳 【 広辞苑 】より:おとうさん委員会

●●●●父子手帳 【 広辞苑 】 ●●●●
●あ:【あいさつ】 =-=-=-=-=-=-= ■家族であいさつ  すごいね。小学校のあいさつキャンペーンみたいだね。でも、これは、大事。  とくにね、子どもが幼稚園とか行き始めると、うっかりすると朝起きると子どもがもういないってことがあるから、早起きが大事。  2度寝してもいいから、朝は、どんなに帰りが遅く、朝の5時に帰ってきても(どこにいたんだぁ???)朝は子どもにおはようを言おう。  奥さんには、朝の5時に帰ってきたら言いにくいね。もっと、早く帰ろう。ね!Nくん! 「おはよう」「おやすみなさい」「ありがとう」「いただきます」「ごちそうさま」 これ大事ですよ。親は、「いただきます」には「めしあがれ」か「いただきまーす」。「ごちそうさま」には「おそまつさま(言葉としては古いね)」か「ごちそうさまっ」と自分が食事して無くても言って受け止めましょうね。  スーパーでも接客5大用語ってのがあって、「いらっしゃいませ」「おそれいりますが」「少々お待ちください」「お待たせいたしました」「ありがとうございました」というのがある。  家族でのあいさつは親がやんないと子どもからはしない。よほどじゃなきゃ。
●あ:【愛情】 =-=-=-=-=-=-= 小さいときから、今まで大きくなってきたこと、成長し たことを語ってやる。
●あ:【明るい】 =-=-=-=-=-=-= 「明るい」の意味→未来に対して頑張る力を与えること。バカ笑いをすることが明るいことではない。
●あ:【あげる】 =-=-=-=-=-=-= ●●「あげる」発言。 「あげる」という言葉に「くってかかる状態」になっているおくさまもいる。  「パパが話をきちんと聞いてあげ、相談にのってあげることが大事」とか言うと、「なになにしてあげる」の「あげる」がきにくわないという。 「あげる」というのは「上にあげる」こと。奉じること。えらそうに、上からもの与えているんじゃないですよ。 それでも、ご理解いただけないなら、「パパが話をきちんと聞かせていだたく、相談にのらせていただくことが大事」ってか???
●あ:【遊び】 =-=-=-=-=-=-=
●発砲スチロールで瓦わり
●い:【生きがい】 =-=-=-=-=-=-= 育児だけの毎日が、ひどく社会から取り残されているように思ってしまう。
●い:【育児サークル】 =-=-=-=-=-=-= 育児サークル。  ある程度自分と気のあう、さらに、自分の子どもと同じくらいの年齢をもったという条件を満たす友達は近所にいるだろうか。気のあうひとはいても、近所に子どもが多かった時代とはちがうので、自分の子どもと同じくらいの年齢をもった人となるとなかなか見つけられなかったりする(;-;) 。  結果、子どもと親だけがマンションの一室で「うつうつ」という環境がある。ほとんど母親とひとりっ子という組み合わせ。密室育児と言われてるやつ。仙台に転勤したてというケースは一時期はそうなりやすい。  そこで、同じ様な悩みやニーズから育児サークルがけっこうな数できている。  既存の育児サークルに参加するか、あるいは新たに育児サークル(友達2人でもいい)をつくるか の2つの方法があり、これによって育児はラクにも楽しくもなる!。
●育児サークルに参加する。  じゃあその育児サークルのリストはどこにあるの?というと、これは 育児サークルがおたくの近所だとこういうのがありますよというのを行政は総括していない。  情報がないながらも、その情報はその活動の場所におおかたのサークルが使っている市民センターや、女性の関係をやっているのでエルパークに聞くと情報は仕入れられる。よく「密室育児も市民センターに行くまで」と言われるように、お察しのとおりこの育児サークルはほとんどが各地域にある市民センターの一室、または生協の一室をかりて活動をしている。   あとは、丁重にその代表に電話をかけるなり、集まりの日にでかけていく。うまくいけば、そこで仲間にいれてもらえる。  でも、育児サークルにはそれぞれに個性がある。それも女性のしきるサークルにありがちだけど、その代表者の性格がそのままそのサークルの色になっていることもある。その育児サークルの色が自分にあえばいいけど、あわないということだってある。また、近所にたまたまなかった、とか、たまたま夫がサービス業なので平日の休みのまさにその曜日がサークルの活動日ということだってある。あるいは、もう最高にいいサークルがあっても、「もう増やしたくないんです、すみません」という親切なレベルから、「あたしたち気があってやっているサークルなので、他の人にはいってほしくない」と言いきるサークルだってある。4、5人から増やそうと思わないサークルもあって当然だし、「入れてくれたっていいのに!」とは言えない。  あるいはもっと辛辣に「あんたはいや」と言われることだってある。サークルのイベントがやたら高額のワークショップやお茶会だったり、あるいは、反対に貧乏くさくてイヤということだってあるだろう。 0歳からであったり、1歳からであったりのちがいもある。活動の曜日や隔週や毎週だったりのちがいもあるから、それがあうかあわないかだってある。  育児サークルはまずは近所の市民センターに問い合わせ。
●育児サークルをつくる。  既存の育児サークルに参加できれば、育児サークルをつくる必要は無い。  なにかをはじめるエネルギーって楽しいけどたいへん。逆に言うと、たいへんだけど楽しい。  育児サークルをつくるにも2つ道はある。ひとつは行政の手助けという「たなからぼたもち」を待つ。もうひとつはフロンティアスピリットで「いちから」つくる。このふたつ。  たなぼたはめったにない。「託児の講座(託児ボランティア養成など)」はあるけど「育児サークルを作ろう」というような目的意識での講座はほとんど無いのだ。  現実に行政がお膳立てしてくれるのは、市民センターやエルパークなどでのなにかの講座がまずあって、そこで行政が「集まったみなさんで」と声がけをしてつくるパターン。それから、幼児健診で、保健婦さんとの話のなかで「せっかくみなさんここで出会ったのですから」と声がけをしてつくるということがある。たなぼたは、やりかたの助言や相談が期待できる。メンバー募集のポスターを貼るのにもお願いもいらなく、「そこ」や関連施設に貼らせてもらえる。話の流れによってはメンバー募集や、イベントの電話受け付けを「そこ」がしてくれるということもある。自宅の電話や住所をそこらじゅうにばらまかなくていいのはありがたい。 (独身時代に泣かせた男は数知れずばっくれて別れた男もいたっけなぁなんておかあさんが、名字は変わってないなんて状況ないともかぎらない。)  市民センターの講座によっては、その講座から発生したサークルには会場費が安くするという特典が用意されていることもある。  次に「自力でつくる」だけど、そのまえに、育児サークルの定義的なことをしておこう。育児サークルは育児に疲れているおかあさんたちのいきぬきの場所。だから、育児サークルのほとんどの活動はおしゃべり・ぐちのいいあい というのでほとんどが合格点である。それも、なにも解決をもとめているわけではない。おしゃべりして「〜だよねぇ」「うちも〜」「あなたが悪いんじゃないよ」「それってないよね〜」と言ってもらえる相手の声がほしいということとらしい。  だいたいにして、解決策であれば、このインターネット時代だ、超専門家がインターネットで無料で教えてくれている(まあ、解決策も現実の前ではそううまくはいかないのは、友達の助言とほとんど同じなんだけど)。    育児サークルは子どもの遊びが主役という顔をして登場しているけど、子どももいろんな子どものなかで毎回いろんな遊びができて、そしておかあさんも気持ちハッピーという一石二鳥というのが、育児サークル。  「育児サークルのつくりかた」。 1:まずは、自分の他にもう一人、サークルを運営することができる仲間を見つける。なにかとくじけることがでてくるときに仲間は必要なのだ。  会員を募るにあたっても、ひとりぼっちの団体(?)よりか、複数会員(って、2人だけど)の団体に参加するほうが参加するほうだって 気がラクだ。 2:ポスターやちらしをつくる。  印刷はコンビ二の10円コピーでもよいし、安くすませたいなら、錦町にある市民活動センターの簡易印刷機をつかえばよい。マジックで手書きという手も忘れてはいけない。大事なのは、器材ではなく、やる気なのだ。  貼る場所、配布する場所は、自分の行くところをまずは頭に思いうかべる。ちらしをさばくことよりも、自分のティスト(味覚)に会う近所の仲間を集めるほうが大事だ。  思いきっていつも使っているお店に、「育児を楽しむサークルをこの地区でも作りませんか?」という案内を貼ってもらう。生協にはそういうコーナーをもうけているところもある。マスコミの読者のコーナーに案内を貼り付けたり、「ぱど」などを利用してもいい。インターネットの掲示板もいい。  置いてもらうのに抵抗がないのは、市民センターとかの情報コーナーとかだけど、そういうコーナーに出入りしているひとはたいていがもうステップを踏んでなにかしらに参加していることが多いので、別なチャンネルも使うほうがいい。  うたいは、自主保育に近いんだけど、「楽しもう」のほうがいい。研究しようとか語り合おうとかいうメッセージはダメみたい。 3:3人になったら、そこでサークルの名前を決める。名前を決めるという儀式で3役が固まる。これは大事だ。1人のうちに「すみれの会」だの「あやめ会」とかつけちゃうよりも、名前つけの儀式によって「自分の会」という意識が生まれるからだ。  あとは、とりあえずその3人で遊んでいればいいくらいの気持ちで、「新しいメンバーが来ればラッキー」という感覚で活動をしていればいい。 4:やがて、でかいイベントとまでいかなくても、なんか先生を呼んでたとえばフラワーアレンジメントを教えてほしいとか、みんなでどこかに集まってというときに、もっと人が多いほうがなにかと便利ということになる。そういうときに、ちらしやポスターを越えたアナウンス、つまりマスコミの記事を利用して会員募集をする。  つまり、そのころにはある程度の活動実績があるので、マスコミも記事や番組にしやすいということがある。(そのときのために政治家の視察写真よろしく活動の写真は残しておいたほうがいい。活動っていったって、別に公園で遊んで、なにかの布にポスカで会の名前をかいて、みんなでピースするだけで十分。アリバイ証明になればいいのだから)。  取材に来てもらっても、会員は自分一人でまだなにもしてませんというような、ゴッホみたいなまだ認められていない天才というのもおもしろいんだけど、それをとりあげる酔狂のあるマスコミは悲しいかな仙台には少ない。  大事なのはそのさいに担当したひとの名前をきちんと書いておいて、お互いにおもしろいニュースを流すといういい関係をきずいていくことが大事。 5:屋外活動にふさわしい季節の、5月から9月は「**公園に集合!」という集まりでいい。幼稚園にはいるまえだから、ぺたっとゆかにすわれるところとかおたくとか公園がいい。子どもをあそばせておべんともって勾当台にいこう!でいい。  公園でやるというのはそれ自体がPRにもなる。部屋の中ではなく、オーディエンス(観客)がいる。デモみたいなもんだ。そのときにもチラシを配ると良い。もちろん雨天のさいは中止でよい。  まずいのは、まだ人数がすくない時のこういった企画で、子どもの体調が悪くなったとき。だから、気がねなく欠席できるような人数になるまでは、ポスターでの「**公園に集合!○月○日何時から」という集まりで、自分の逃げ場をなくすのでなく、中止できる仲間とだけやる。仲間の体制がととのった時点で、ポスターで公示というほうが無理が無い。  格言:無理の無いものは続けることができる。 6:ここで、会としてあまり閉鎖的にならないように、細かいおきまりや会員番号などの会固めはやらないほうがいい。育児や(マタニティを受け入れるなら出産も)についてはだれもが不安に思う「仲間」なのだから、「誰でも来ていいよ」というような、クリスマスのときの教会のような「なんでもいいからおいでよ」の立場がいいと思う。 7: 屋外での活動がつらい時期(10月〜4月)は、会場を借りる。 市民センター> 仙台には市民センター(公民館)が各所にあるのでそこを利用する。会議室とかは無料というところもある。オープンスペースを利用してもいい。(極端な話、2、3人のときはホテルのロビーなんかもゆったりできるんだよね/トイレの水がお湯もでたりとかけっこうリッチ)。 児童館> 児童館ってのもあるんだけど、特定サークルに貸すという形はめんどうみたいだ。 生協> 生協もそうした活動のために開放してくれる部屋があったりする。 費用は場所と大きさによってちがう。部屋をかりてなにをするかにもよる。 児童館まつりがあるみたいだからメンバーと出かけるというのもいいし、だれかのうちにいこうとか、もいい。 注意> 注意としては、サークルの中での商売(アムウエィとか、いろいろございましょうが)や布教や政治的にひとつの党に荷担することはしない。やるなら、全部やる。アムやって、ニュースキンやって、消費生活センターのひとも呼ぶ。真光もやって座禅もやって教会にも行く。民主党やって、共産党もやって、自民党もやる。ぜんぶやる気持ちがないならやんない。  商売したくて参加するひともいる。突然「あなたの夢を実現しよう」だとか、チラシとか出してきたら、代表が「これはこっちの活動とは関係ないからね」と言っておいて、あとは参加者の判断にゆだねる。 8:可能な限り代表は後継者を育てる。  代表が転勤で仙台を離れるとか、子どもが成長して会を卒業する(別にOG会をつくればいいのだ)時のために。 徳川家康が政権をにぎったあとにすぐに息子の秀忠に後継することで、江戸幕府は徳川家が代々ひきつぐので諸大名は争うなということをやったのと同じで、代表がまだ現役のうちに後継するほうが会はつづく。 9:ここまで来れば後はもうOK。育児サークルは代表をタレントにするのではなく、後継者たちによって今後も続けられることのほうが意味がある。  けっこうあるのけど、育児サークルが、やがて、託児グループに発展するパターン。面倒をみてくれた恩返しというケース。    つきあいかた> つきあいかたについては、それこそプチタンファンとかに掲載されているので(ざっくばらんでつきあうけどふみこまないとか)、つぼだけ。つぼはつきあいはギクシャクするのも含めて「つきあい」だということ。すんなりとうまくいくなんてことはありません。
●い:【意思】 =-=-=-=-=-=-= はっきり自分の意思をいえる子にする。 「どうでもいい」とか言わせない。
●い:【命】 =-=-=-=-=-=-=
●命を大事にする。 これを教えようとか書いてある育児書がある。書かなきゃ教えない親がいることってほうが問題。前に、統一教会に元オリンピックの女性選手が入って話題をまいたとき、「ひとに優しくしなさい、とか、そういうことを教えられたのははじめてで、感動した」とか言ってたことがあった(その後、脱会)。(「ひとに優しくしなさい」って宗教以前の道徳じゃないのか?と思った)。  こういうことって昔は子どものテレビマンガのなかでも伝えられていたんだけどなぁ。 意識しないと、だれもそのことを言っていない社会ってことだよね。
●い:【いまさら】 ●休日ゴロゴロしていたおとうさんが急に怒り始めても「いまさら、なにをひとりでいきまいてるの」と馬鹿にされる。いつも、部下に挨拶もしない上司が部下になにかを指示しても、そうそう動いてくれるものではない。
●子どもの時から(星一徹でなくても)原辰則のおとうさんみたいにやってもいないのに、「子どもが大きくなってから、キャッチボール」 あるいは、女の子の場合は、自分は田村正和みたいにいかしてもないのに、 「、年ごろになったら一緒に街に買い物に出かける」 というのは甘い。 かまってもらえる訳がない。
●妻が様々な悩みを一番話したい相手は夫だ。
●大きくなってからでは、子どもの気持ちはつかめない
●う:【受け入れる】 =-=-=-=-=-=-= ●
●自分を受け入れてくれる親がいる。  子どもは、いいこともわるいことも、安全なこともやばいこともいろいろな体験をして大人になる。(村上龍の本を読んで不安になることないぞ)。スポポン!と、なにもなく大人になるのもありだけど、それだと、トラブルにまきこまれたときに処理能力が弱い大人になってしまう。   風俗につとめる女の子たちが一貫して言うことは「ここ(風俗)にいると、自分を自分のままうけとめてくれる」「どうしてそんなことしたかって聞かない」「なんでも『しかたないよー』と言ってくれる」。  たしかに、問題ありの発言なんだけど(だって、風俗にいる同志が「なぜ」とききあうことは自分も「なぜ」と問われるってことだから。「しかたないよー」で流すのは当然)  大切なことは、人間はありのままの自分を受け入れてくれるひとをさがす。セックスなんてのは、裸でだきあうわけで(たいていは)、それってそういう象徴でもあると思う。ありのままの自分を受け入れてくれる親がいて、そのベースの上で失敗しながらも、1つづつ成長するのだ。
●う:【奪いあい】 =-=-=-=-=-=-= ■「おもちゃを取ったり、取られたり」は「他者」との関わりの勉強 親が与えた結論じゃなく、子どもが考えたうえでの行動でないと意味がない。 ○○式学習のように、「これこれこういうときは、はいABCのどの行動?」「はい正解はB」「このくりかえしをあと20回」っていうわけにはいかん。 親は子ども同士の解決の方向を助けてやれるくらい。 命令だと、命令者がいなきゃ、そうせんから。
●お:【おかあさん】 =-=-=-=-=-=-= 「私はアナタのおかあさん代わりじゃないっ!」  岩崎宏美の『マドンナたちのララバイ♪』よろしく、戦場で戦う男達を「さあこの胸でお休みなさい」なんて歌詞じゃあるまいし、「なんであたしばかりが亭主の心のケアしないといけないわけ!」なわけ。  おっかしいなぁ、つきあってるときはそうだったじゃん。とか言った日には「そんなに甘えたいなら、おかあさんのところに行きなよ!」とブチギレられるわけ。  さあて、とうの「おかあさん(亭主の母)」がはたして甘やかしてくれるとも思わないが、それなら器用なおとうさんなら、てっとり早く、甘やかしてくれる恋人をつくるだろうに(しかし、その恋人もまた日が立つと、同じ言葉でブチギレるのだが=西岸良平のマンガであった)。 「仕事で疲れて帰ってきているんだから、家に帰ったら休みたい」おとうさん。 「あたしだって家事育児、PTAだとかご近所だとかの付き合いでへとへとなのよ」 と、いかに疲れているかをご披露しあうわけだ。  まあねぇ、たいへんなのはお互いさまで、そこで必要なのは「察する」とか「機転」だろう。ほんとは、こういう能力がないやつはおいそれと、相手みつけて結婚までいかんものだが、そうかぁ、『ポパイ』の彼女を落とす特集記事とかだけで乗り切ったか、あるいは、釣った魚は餌をあたえるほど魅力なくなっちゃったかもしれないし、ああ、そんなのより根本的に愛が消えたのかも。  いやっ、案外ねぇ、多いのはおとうさんは確実におかあさんの仕事より自分の仕事のほうが大変だと思ってる。女性は案外と、「男のひとのほうがたいへん」って思ってくれているひともいる。つまりねぇ、おとうさんは高校時代に、妻が結婚に憧れたようなあのイメージというか夢をまだそのまんまに現実だと思ってる。悪気なく、おかあさんのたいへんさを知らない。だから、たまに、家事をほおりなげてやってもらうとたいへんさもすこしはわかるから、これもおだてててね、やらせるとあんがい大変なのはわかってくれる。  ただね。このどっちが大変かというのは、ナンセンスな議論でさ、男の働きぶりもいろいろ。パチンコやってばっかりでフラフラかせがない男もいるし、毎日ゴルフやっててそれで高給もらっているひともいるし、いやな上司にこきつかわれへこへこ客に頭下げて汗流しているひともいるし、のほほんと昼間からサウナだ映画だってさぼっているやつもいるし、金の工面で走り回っている経営者もいる。女性も仕事を持っているのと専業主婦はちがうし。女性も仕事を持っていても、正社員かパートかでもちがうし、最近は少ないらしいけど「生きがいのために」働くのと、最近増えた「生活のために働く」のはちがうし。専業主婦もまた、のほほんとみのもんた見てインターネットやってケーキ食べて一日が過ぎるひともいるし、いろいろPTAだ子ども会の役員だとか押し付けられたうえにおとうさんの会社の仕事も手伝っているひともいる。そのおとうさんとおかあさんの順列組み合わせがいろいろだから、どっちが大変かっては言えないよね。  ただ、たいていは「自分のほうが大変だ」と思ってるし、「他人の妻や、他人の夫はうちのよりよくやっている」と思っちゃうもののようだ。  ちなみに、ひとり女性として扱ってくれないことへの不満でこう言われることもある。逆に「ボクはきみのおとうさんじゃないよ」と夫が言うときもある。  おとうさんと夫の使いわけをするとかめりはりをつけるのもいいのだけど、一緒に生活をするというのは性を排除したほうがラクということもある。だんだん、夫婦が中性化していく。(といっても相対的なもので、他の男や女にはセックスを出せるんだけどね)。  そうなると、フランスのカップリング制度みたいに、結婚なんか無くして、その気がなくなったら(戸籍とかおおごとじゃなく)解消できるというふうに時代は変わっていくのかもしれない。  「おとうさんとか、おかあさんってチームみたいでいいじゃない。」という発想もある。
●お:【おとうさんとおかあさん】 =-=-=-=-=-=-= ●
●おとうさんとおかあさんの存在 おとうさんとおかあさんとあえて分ければ、たぶん、男と女のセックスとしての違いと、ジェンダーとしての違いは分けて定義していかないといけない。 でも、2人いるってことだけで、おかあさんとちがう人間がいるんだって思うことは重要かも。 おとうさんは、10か月、こどもをおなかに抱えていない。  すごく、極端な例で言うけど、風俗に遊びに行って、つい本番をやりたくなっちゃってヘルスの女の子に中出ししちゃったとする(10人中9人は「入れていい」とヘルスの女の子に聞くという:ところで、なんで「ヘルス:健康」っていうんだ?)。さて、ここで妊娠して、産んだとする。このとき、この男に愛はあったろうか?....ない。チャンドラーの小説に「エレクトしたペニスに良心はない」という台詞があるが、愛がなくても妊娠はする。 しかし、産むまでに、子どもをおなかに抱えるということは、そこで愛情はほとんどの母親に育つ。  妻帯者が浮気して、相手に子どもができた。堕ろさないで、産んでだけもらって妻に育ててもらうといった、宮尾登美子の小説ばりの選択は、ほとんどは不可能だ。なぜかって、子どもを10か月おなかのなかで育てたら手放せなくなる。それがひきさかれるつらさは理解を越えるくらい、愛情が母親に育つ。  しかし、男はどうだ?結婚していていっしょに生活している、いっしょにおなかをさすりながら、足がおなかをけっとばすのを感じながら出産を迎えれば、これは子どもをおなかに抱えるのとかなり近いことだと思う。でも、ヘルスで無理やり中出しして、その後はもう顔を見せないということが物理的には可能なのが男だ(心情的にはそんな男、クズだ!)(実際、フィリピンとかに日本人観光客とのハーフの子どもがたくさんいる:JFK)。  つまり、おとうさんとおかあさんは子どもへの愛情がずれているケースがある(みんながみんなずれているわけじゃないよ)。  ここで、おとうさんの一番大事なのことは、おとうさんが子どもをちゃんと愛してるということを子どもに(おかあさんにもだけど)きちんと伝えることだと思う。  これは、ケンケン立ちと両足立ちのちがいくらいに子どもを安定させる。
●お:【おとうさんに必要なもの】 =-=-=-=-=-=-= おとうさんに必要なもの。 1.経済の力 /おかあさんが経済の力を持っているならば、また話はすこし変わる。  バブル時代は多くの女性団体によって「企業戦士」という言葉でやりだまにあげられた戦士たちの「仕事」。平成5年ころからの不況によって、「仕事」はあるだけマシと、評価が変わってきている。子どもに衣食住教育を保障する経済の力。これがないと、実際子どもは育てられない。  平成不況以来、日本は貧富の差がはげしくなった。バブルのときにはシャレだったマル金・マルびも、きちんと顧客ターゲットをどちらにするかで、マーケットのはじめに上げられるものとなってしまった。  だから、現実、マル金のおとうさんには「なにをいまさら」のことだけど、マルびのおとうさんには、いつ経済力を失うかもしれないという不安のなかで、「そうだよなー」のテーマなのだ。  これは物理的なものだが、この保証があってその上に、家庭団欒のときだってもつことができる。  高給である必要はないが、実際教育費は子どもが大学に入るころに格段に必要になる。また、教育も現在学校の授業がもはや塾に移管されている傾向にあり、収入が低く学校の授業だけしか受けられない子どもは、特別になにかに秀でていないと、現実的には前途が暗くなっている。  女性達は「お金より大事なものがあるのよ!」と声高に言うけど、でもそれもある程度の収入をクリアしていないと許されてはいない。よく、奥さんの再就職についての「家事育児に影響がでないようならば」という条件がやりだまがあげられ「家事育児は両方がやるべきことで、働くことはいいことだ」とされる。しかし、おとうさんの仕事については「仕事は少なくともおとうさんはやっているべきもので、家事育児だけをやっているおとうさんでは経済的に困る」というのが本音のようだ。  男の育児休暇についての記事がときどき新聞とかにでるが、おとうさんの職業を見ればわかるが、公務員か大きな会社ばっかり。「とってよかった」という感想が述べられているが、「それはそうでしょう。とってみて悪いわけない、でも、それってみんながみんなとれる環境にないのが日本なんだよ」と言いたい。  『切腹』という映画をご存知だろうか。妻子を養うことのたいへんさを感じるのだけど。
●お:【おとうさんの集まり】 =-=-=-=-=-=-=  仙台市の調査によると仙台市内におとうさんの会というのが53個あるらしい。実は、小学校のPTAを母体にしたおとうさんのあつまりというのがほとんどで、結局開催はいままでに数回飲み会をやりましたというケースが多い。  小学校の高学年になるとけっこう深刻なのは犯人の特定できないかたちのいじめで、特定のこどものものが隠されたり、捨てられたり、自宅の郵便受けに生き物の死体が置かれたいといったもので、その周囲にいる子ども達は、たいてい、その対応に右往左往する先生達によって暗くなっている。たとえば、授業を数時間つぶしてひとりずつ生徒を呼んでききこみをする。(そんな、保護者のいるおたくに夜に戸別訪問するのがすじだと思うけど、先生達の午後7時と、民間の会社のひとの午後7時の感覚はなんかちがう)。あるいは、毎日毎日クラスみんなでの反省会や道徳の授業。毎日学校に行くとこれでは。。。。。こういうなかで、おとうさん同志が顔見知りになれるおとうさんの飲み会というのには一応の(あんまりあるとは思えない、飲み会くらいでは)効果はある。  でも、どうも現在の子育て環境をみてみると、おとうさんの会が必要なのは未就学児や幼稚園保育園のおとうさんたちが、よそのおとうさんたちのおとうさんぶりを見る場としてだと思う。小学校になれば、けっこう育児も楽になる(老人介護がはじまるまでだが。)  育児のたいへんさは、育児ノイローゼや虐待などにあらわれている。 社会が悪いと思うけど、それを言ってもすぐには変わらない。そんな活動をしているうちに子どもはおおきくなるから、その活動は自分のためと言うのではなく、社会派のスタンスがなければ続かない。  育児のたいへんさは、育児ノイローゼや虐待などにあらわれている。そのたいへんさをクリアするにはひとつにおとうさんたちが、家事育児をすこしうけもつこと と、そんな環境にあるおかあさんたちの精神的なサポートをするということになる。  今、父子手帳なんてものが市販もされ行政もくばってはいるが、この手帳のページをひらくおとうさんというのはたいていは機転がきき、察しがいいわけで、献血センターのなかで「献血をしよう!」のビラをくばっているようなものだ。  ほんとはそういうものを見ないおとうさんが読むべきものでしかない。でも、そういうおとうさんたちはそういうことをたいていは悪気なく知らないので、開こうと思わない。昔は、ふたりの愛をこわれやすいウエハウスのようにあつかっていた彼も、いまやその上でコサックダンスを踊るくらい無神経で、かつ、ふたりの関係に手を抜いている。だから、よそのおとうさんぶりをみるおとうさんの集まりや会が必要なのだ。  さて、育児のたいへんさをクリアするにはもうひとつ、おとうさんを見切ってお母さん同志の連帯と言う方法がある。ネットや子連れ情報誌や育児サークルがその役目をになっている。
●お:【男らしさ・女らしさ】 =-=-=-=-=-=-=  男らしさ、女らしさは 男女平等論者の言うような「力が強い」と「従順さ」といったもんではないと思う(男女平等論者はもちろんそれを否定するために掲げるのだけど)。男らしさとは女と子どもが危険なときに、自分の命を投げて守るということだと思う。 女らしさとはその男の屍(しかばね)を踏み越えてでも生きる強さだと、そう思う。  男らしさとは女と子どもを見捨てられない女々しさであり、女らしさとはその男を捨てられる雄々しさだと、そう思う。
●お:【おもちゃ】 =-=-=-=-=-=-=
●子どものおもちゃを楽しもう。● クリスマスにプレゼントしたら、それでいっしょに遊ぶ。 トイザらスに行ったら、「今のおもちゃはどうなっているんだろう」とおもしろがる目を持つべし。いっしょに楽しむというと、ガキくさいと思うかもしれないので、言葉を代えると子どもの目腺で見る」ということ。 子どもといっしょに歩いたりすることで、大人がいろんなものに気付かされるということはよくある。    子どもにつきあって映画に行って、大人が入り切れるなら子どもの映画もたのしんで見たい。(夏休みは子どもの席がたりないので、たいていおとうさんは立っていたり、入り切れなくなってロビーにいたりする。大人のほうが料金高いのに、そういう映画館は悪い。)  まれに、公園で、嫌々子どもを連れてきましたという、ベンチでたばこふかしているおとうさんがいるけど(子どもがノッテ楽しんでいるときにかぎって「帰るぞぉー」と言う)、子どもと同じことするだけで、心の錆びがとれるってもんだ。まぁ、日常版のブレインストーミング。
●お:【おやじ味】 =-=-=-=-=-=-= おやじ味の子育て  このおやじ味の子育ては、「男ならでは」というものに差別化をはかる傾向にある。たとえば男の子には、危険な遊びにもチャレンジさせようとする。(「おしっこのし方、おちんちんの洗い方を教えてほしい」というのもあるんだけど)(女の子には、アウトドアくらいで、別に昔風の「引っ込んでいる女らしさ」を求めはしない)。  この系の父親が会をつくると、『子どもを叱ろう:おやじのげんこつ』とかいうビデオを見て、キャッチボールやサッカーをする。(シンナーとかにふける子どもを叱る映画)  子育てに力が入っている感じで、けっこう女性団体からは「どことなくこっけい」と笑われるパターン。でも、子どもはすれてなくて、そんな「不慣れさ、上手さ」よりも、本質を受け取ってくれているようだ。それなりに思い出にもなってるし、おとうさんが自分を大事に思ってくれることは伝わっているようだ。  男が親として活躍するのは、アウトドアやスポーツが多い。なんのことはない、洗濯機の動かし方やクッキーの焼き方に不慣れな「家ではダメな」おとうさんでも、手にとげがささろうと、石で手をはさもうと、それさえがまんすれば屋外では火をおこし、バーベキューができるスーパーマンになれる。子どもが川に落ちて流されたら、すぐに助け出す力もやる気もある。  おとうさんが主体的に子育てに関われる一歩目は、戸外の遊びであることが多い。  女性からすれば「そんなの育児のいいとこ取り」と批判だが、そんな批判で男のやる気に水をかけて消してしまうよりは、とりあえずはそれに感謝して、「それだけじゃなくてねぇ」と二歩目を教えてやればいいのだ。  これは赤ちゃんとの気持ちの受け取りのとこにも書いたけど、いったん相手の気持ちを受け取るって大事だと思うよ。英語だって、「いりません」がノーサンキュウだよ、サンキュウがついてるでしょ。日本語だって、なんか断わっても、せっかくの気づかいに対して「ありがとう」とつけるといいと思う。 「おかえり」にも、寒いねとか、暑いねとか雪だねとか、つけるといいよ。  また、「何もしない男よりましだ」と思うおかあさんも結構いる。それで、納得してるならべつにそれはそれでいいけどね、2歩目なくても。  最近、おかあさんがまとめた子育ての遊び場情報がいろんな政令指定都市で出版されている。大手の出版社が地域のおかあさんのサークルに書かせているやつ。平成ひとけたの時期におとうさんが各地で出していた自費出版っぽい遊び場紹介の本があった。これは、おとうさんが買っていたが、のきなみ廃刊になって、インターネットの小さなサイト化してしまった。遊びまでおかあさんが握ったらおとうさんも子育てに参加しにくいと思う。遊びはおとうさんが育児に関われるかっこうの入り口だから、女性が主導権をにぎったら入り口から入りづらい。  それに、「いいとこ取り」という「いいかっこうし」だけでもない。住環境ではマンション住まいの育児家庭も多い。子どもが部屋を走ると「下にひびくからダメ!」と言わなければいけない、負い目もある。だから、なるべく外に連れだしてやりたいと思う気持ちもある。「いいとこどり」とか言われると悲しいね。
● 「父の出番」の言葉のイメージ。「力仕事」「ビシッとしかる」「体を使う遊び」 「妻の精神的サポート、叱った時のアフターケア」
●お:【おやつ】 =-=-=-=-=-=-= ■小学校低学年までは三食でとれない栄養を補うためにもおやつ(軽食)は必要
●か:【帰り】 =-=-=-=-=-=-= おとうさんが帰りが遅いときは、電話を入れるくらいの配慮をしろ。
●か:【家庭】 =-=-=-=-=-=-= ■家庭は意識しないときちんとできあがらない時代。 たとえば「安らぎのある楽しい家庭」とかって、標語的に、それをめざせというのは正論。しかし、意識しないとそういう家庭はできない時代にある。時代は家庭を大事とか、子どもが大事とかいうけど、言うだけで現実には逆のことばかりしているからだ。
●が:【がまん】 =-=-=-=-=-=-= がまんすること。
●か:【からだ】 =-=-=-=-=-=-= からだとこころが剥離している現代。 からだなんかは意味がない。というか、からだには意味のあるときと意味がないときとがあって、外から見たってわかんない。 アイシテイルという言葉には意味がまだあるかもしれない。みんなにアイシテイルと言ったらわらわれてしまうから。 そのひとにどれだけ時間をつかうかはそのバロメーターかもしれない。ちょっと昔は、セックスすることが愛の確証みたいなところがあったけど、それも一回セックスすれば愛がそこにあると安心できたのだけど、いまはセックスしてもつぎの瞬間気持ちはもうそこになくなっているときだってある。  もともと気持ちのないセックスすらある。好意をよせてるくらいでも、セックスはできる。でも、そんなのはほんとのセックスじゃないんだけど。  気持ちは心や夢が自由に時間や空間をとびこしていくように次の瞬間どこにどうあるかなんてわからない。むしろ、心はからだをはなれて純度を高めてしまった気がする。からだによって拘束されていたこころが、からだの先を歩いている。 からだなんか意味はなく、手をつないでいるだけがだれかとのセックスを簡単に越えてしまうこともある。だから、逆にこころのあとを からだがおいついてきたときに、セックスってやっぱりこころがあるのが一番だよなんて思えたりする。 恋人がいない歴はセックスをしない時間じゃない。恋人はいなかったけど、セックスはしてたりするもん。 こころとからだが剥離してしまっているひとたちは、こころとからだがねっぱっている人達からみればすごくうつろいやすい。からだがこころをひきとめないから。 逆にこころがからだにしばられない。 どちらにせよ、こころとからだが同じく「アイシテイル」というところで焦点をむすんだとき、泣き出したくなるくらい、安心してしまうのだろう。
●き:【決めごと】 =-=-=-=-=-=-= ■家に帰る時間、寝る時間などの生活上のきめごとをつくろう
●き:【気持ち】 =-=-=-=-=-=-=
●気持ちをいったんうけとめてから会話する。「あ、これ欲しいんだね」「あ、〜したかったのね」というように。そのあとで、「でも、このことは」とつづける。
●き:【休日】 =-=-=-=-=-=-= 休日によくするおとうさんの子育ては 「一緒に入浴」 「家の中で遊ぶ」 「子どもとお出かけ」 「妻が外出する時の子守り」
●き:【協力】 =-=-=-=-=-=-= ■夫婦で協力して子育てする  昔は「親はなくとも子は育つ」という言葉のように、たとえばおとうさんが飲んだくれでも、子どもは近所のおせっかいのおばちゃんとか、遠山の金さんみたいに「おっ!おさよちゃん元気かいっ?」などと声がけしてくれるようなお兄ちゃんがいたりした。地域が子どもをささえてくれていたから、おとうさんがいなくてもそれを埋める他のひとというのがいた。ところが、今は密室育児とかが存在するように、母子だけで子育てするようなこともめずらしくはない。  近所に人間がいないわけじゃないし、むしろ人口密度は昔よりも高いのに、近所との交流はゴミ出しのときのトラブルや苦情のときだけということも現実にある。  なぜ、地域が子どもに関われなくなったかは、単純に、子どもが減ったからだ。どこにもいた子どもなのだから、ひとさまの子と自分の子や孫がお互いに迷惑をかけあい、お互いの成長を喜べるあたたかさを昔は持っていた。  今は、子どもが道でサッカーボールを蹴っているのがうるさいからと、その学区の小学校の校長に苦情の電話を入れるなんてこともある。昔のように正月に近所のおじさんが子どもたちにお年玉をくれるなんてことも無くなった。  おとうさんが子育てに参加するというのは、1点でささえる子育てをせめて2点で支えるということだと思う(そればかりでもないけど)。  だから、たとえば、「母親とは違った視点で子育て」とか「父親らしいとか子育て」とかをあんまり意識することはないと思う。  よく、おとうさんが母親と同じような子育てをすることに「母親を2人つくってどうする」とか言われるけど、はじめはそれでいい。はじめから、気負って「ワンパクでもいい、たくましく育ってほしい」とかいうキャッチコピーとともにたき火の前で丸大ハムを食べるというCM(古いCM)みたいにアウトドアや危険や力仕事をおとうさんの子育てと考えると、なんか形だけになりがち。とりあえず、奥さんの真似でいい。ひよこクラブだとか、バルーンとか一緒に読めばいい。育児のノウハウ満載だ。  そのうちね、やってれば、男であるおとうさんの体を通して表現される子育ては、「母親を2人つくってどうする」とか言われるような外見でも、大丈夫奥さんの子育てと違うって!
●き:【着る】 =-=-=-=-=-=-= ■パンツはかせの裏技として、はじめからはいて無い状態から訓練させるのじゃなく、はきあがりの一歩手前からやらせていくといい。 つまり、パンツ下げの状態から、だんだん難易度をたかめていくやりかたがある。 ■ボタンなど、自分でしたそうにしてるときは自分でさせてみる。 ■服を選ばせる まずは、子どもが着たくなるような服があれば子どもの気持ちが変わる。 好きな服や、自分ひとりで着れる(脱げる)服を用意する。 赤ちゃんの時から「さっ、着替えをしようかー」と声かけしながら着替えをさせてあげると、参加意識が培われる。
●こ:【厚生省のキャンペーン】 =-=-=-=-=-=-= 厚生省(元)のキャンペーンのように 「育児をしない男を、父とは呼ばない」というのがあった. 厚生省(今は厚生労働省)がつくったアムロの子どもをサムが抱いてというやつ。 株価もうじき30000円台の時期ならいざしらず、そんなことをお気楽に言える環境は整備されちゃいない。 「育児する環境をつくってないのはあんたらお役所でしょ。官僚の考える家庭環境と現実は違うんだよ」とか、アクタイついている輩も多かったけど、今は厚生労働省。  厚生をきちんと恒常的に運営するには、労働環境も考えないとだめだって気付いたのかなぁ???  なんか、行政って『ロボコップ』のオムニ社に似てる。ロボコップつくっているのもオムニ社、悪さしているのもオムニ社。
●こ:【国民生活審議会総合企画部会】 =-=-=-=-=-=-= 「国民生活審議会総合企画部会」の「多様な生活選択に関する研究会」(第4回)議事要旨(平成10年1月28日:経済企画庁)より *:・'゜☆。・最近,仕事自体を生き甲斐とする労働者は少なくなっているのではないか。例えば,バブルの崩壊以降,学生は自分の能力の範囲内で,倒産の危険性のない安定した会社に就職しようとする傾向が強くなっている。普通の人は,適当に仕事をして収入が得られる職に就きたいと思っているのではないか。そうであれば,キャリア形成が企業決定型から個人決定型へ簡単に移行するとは考えられない。  女子労働者は二極分化が進んでいる。一生懸命仕事と育児をしている女性がいる一方,無理してまで仕事と育児をしたくないと思っている女性が多くなっている。彼女たちは,夫の給料が高ければ働きたくないと思っている。また,夫の給料が下がり,生活水準が下がるのであれば,夫に早く帰ってきて育児を手伝ってほしいとは思っていない。 ・専業主婦でも幼稚園の教育時間が短いことに不満を持っている。ただ,幼稚園の側としては,保育園と同じ時間,子どもを預かるのであれば,保育園と同程度の補助を受けたいと思っている。今後は,幼稚園も夕方まで子どもを預かるという形で,実態として幼稚園の保育園化が進んでいくと考えられる。  企業側は,若年男性が不足している中で有能な若い女性を活用したいと考えており,女子保護規定の撤廃に賛成している。しかし,女性の側には賛成と反対の2つの意見があり,実際に,子どもを産み育てている女性の多くは女子保護規定の撤廃に反対している。  保育園に子どもを預けている女性は,企業側に必要とされている優秀な女性とパートなどで働く女性に二極分化している。男性の側で年功賃金が崩れており,女性も働かざるを得ない状況になっている。
●こ:【子育て支援事業】 =-=-=-=-=-=-= ・保育所 ・幼稚園 ・児童トワイライトスティ ・児童ショートスティ ・児童クラブ ・子育てセンター ・子育て自主サークル というのがある。
●ざ:【在宅時間】 =-=-=-=-=-=-= ●長時間通勤、塾やけいこ事がよい、主婦の就労。これらは、すべて家族の在宅時間を短くする方向にある。
●し:【幸せ】 =-=-=-=-=-=-= ■親がまず幸せに  これは大人も子どもものことなんだけど、みんな「こらえしょう」がなくなってる。  こらえることからも喜びとか達成感はあるんだけど、子育てで「あなた(子ども)がいたからがまんしてた」とかつらつらとあとで恨みごとで並べたててしまいそうとか、子育ての疲れを子どもに察知される程度のポーカーフェイスしか持ち合わせていないなら、親がまず幸せにという手法のほうがいい。  イライラさえも子どもに一切伝えない役者なら話は別だが。  なかでも、自分の時間をつくって、気持ちを休めることが一番大事かな。 とくに、おとうさんはおかあさんにひとりの時間ってのを持たせてあげることを意識したほうがいい。  ただ、親が幸せそうに外に恋人つくってて、おまけに子どものほうを向いてないってのは、当然ダメ。子どもには理解できん。  親の幸せな笑顔が子どもを向いていると、子どもは安心する。  子どもにとって一番幸せなのは、「うちのパパとママってすっごく仲がいいんだ」ってことだと思う。
●し:【叱りかた1】 =-=-=-=-=-=-=
●しかるときは具体的に「これこれをしたら壊れるからダメ!」とかわかりやすく。 「遅い!」とかいわれても、ちょっとわかんない。 「なんで乱暴なの!」とかいわれても、なんでかなんて赤ちゃんはわかんない。「なんで乱暴なの!」とか叱ってしまったら、「なんでかなんてわからないよねえ!」と、ひとり「ボケつっこみ」をしよう。 他の子と比較して叱られるのは、「じゃあ、(他の子)の親になればー」と思ってしまう。 くどくどと叱ったり、「あの時も」と、むしかえして叱られるのが嫌なのは大人と同じ。 感情でしかっていると、子どもは親の顔色をうかがうようになる。まあ、世渡り上手とも言えるこの世の中が怖いが、、、。
●し:【叱りかた2】 =-=-=-=-=-=-= ●叱りかた 「虐待」か「しつけ」かでもめるところが「叱りかた」の問題。 まずは、こうしたほうがいいという「標語的」なことも言うけど、それに対して現場では「そううまくいかないのが現実!」とおしかりをうける。
●「標語的」: 叱る ではなく、「言い聞かせる」  子どもが小さい時に、危険なことやイケナイことをしたときは、叱らなければいけない。子ども自身の身の安全のためと、社会に適応できるようにの2つの方向がある。  叱るというより、「教えてあげる」という姿勢はこちらはぜったい捨てちゃいけない。 お茶碗を箸で叩くとか、なんかの棒で缶を叩くと、だんだんノッテきちゃうように、人を叩くというのもノッテきちゃえば、それは虐待になっていく。  ぜったい暴力はいけないという考えから、言葉で、そのときは真剣に、場合によっては迫力をもって教えてやる。「言葉で一緒懸命伝えれば子どもはわかる」という考え。 一応ここまでが標語的な考え。
●しかし、口で言っても止まらない場合は、アクションが必要になる。  そういう場合は、大声で怒鳴って叱っても子どもはなにがどうおこっているのかが理解できない。クレヨンしんちゃんは、よく母「みさえ」に「ぼかっ(げんこつ)」と頭を突然殴られているけど、あれは、母親たち視聴者が「あ、こういうのってあるかもーぉ」って笑うためのもので、まねしちゃいけません(脳挫傷ものです)。  行動自体を手で止める。なんか、犬の調教に似ているんだけど、「このこと」が!と、さししめし、「いけない!」としっかりわからせる。  おっぱいのときに、おっぱいを噛む赤ちゃんに対しての伝え方にこういうのがある。 噛まれたらすぐに「いたい」と言っておっぱいを離し、しばらくそっとしておく。これをくりかえすことで、噛むと、おっぱいをもらえないという事を覚える。    とくに、いちばん悩むのは友達を噛むとかいうケース。 言い聞かせだけでいいのか、となる。加害者の人権ばかり保護するのはどうかとか、重大な事件がおこるとかならずマスコミがこの論調で書く。「やられたほうは暴力を受けているのに、なぜ加害者への暴力は禁止されるのか」と。  こういうおとうさんがいた。子どもが友達を噛むと、子どもの噛む力くらいに調整して自分の子を噛んだ。それから、自分の手も噛んだ。言葉で説明した、やられるとこんなふうに痛いんだよ。  そのあと、大事なことがある。  子どもへの愛情をしめす。  「きみのこと愛しているんだよ。だからおこるんだよ」と言う。ある本には、うっかりしかってしまったときのフォロー裏技として載っていた。裏技として意識すると、映画『タクシードライバー』に出てきた、未成年者(ジョディフォスター)に暴力をふるいそのあとのやさしさで手なずけているヒモに似てて、姑息な感じがする。ただ、叱りすぎたらあやまろう。すぎたなと思ったらば、あやまろう。  似た言葉で「あんたのために言ってるんだよ」というのがあるけど、ちょっとちがう。おとうさんやおかあさんの自分の気持ち(愛しているから)ってのが入っているってのがポイント。 「そんなことしてると、おかあさんもう知らないからね!」とか「出ていきなさい!」はその正反対のところの叱り言葉。かなり関係がしっかりしていれば、親の真意をよみとるけど、たいていは子どもはショックだけをうける。捨てられたくなくて子どもが大人の顔色を見てすりよってくることもある。    サザエさんのカツオも押入やものおきに閉じ込められた。でも、カツオはたしか小学校4年生。  ときに、かまってほしくて悪いことをするということある。 叱られる快感だったり、愛情を再確認したり。
●叱るというのも大事だけど、もともと抱えていた問題がたまりにたまって、子どものちょっとしたいたずらで怒りが大爆発ということがある。  子どもは引き金をひいただけで、銃に火薬をつめたのは誰なのかを考えないと。  たとえば、この不況。職がみつからないおとうさんによってどれだけの子どもが殴られているんだろうと思う。ほんとに。  本当は、何にぶつけたらいい怒りなのか、考えたほうがいい。
●し:【叱りかた3】 =-=-=-=-=-=-= ■「どうしてそんなことするの!」と叱るな  どうしてか本人もわからないから。 「〜したいんだね」「〜なんだね」と気持ちを受け止める。根気よくつきあっているから、気持ちが安定していく。 「心の基地となる」ってことなんだけど、これって、わがままないまどきの娘とのテレクラ(ツーショット??)のノウハウではないか?「あ、そうなんだー」「そっかー、〜なんだー」って話をあわせて、もりあげていくスケベオヤジ。例が、、、例が悪い、、、か。「はじめからの説教オヤジは嫌われる」。  考えて見ると、子どもの気持ちを受け止めない親が多過ぎるから、こんなのがまかりとおるんだろうか。たとえば、学校から子どもが帰ってくる「ママ!今日、学校でね!」と言いかけるや、「ほら、靴そろえなさい!。うがいしなさい!」とかいうやつ。言いたがりは多いけど、聞きたがりがいない。  「そっかー、今日はなんとかだったんだー。」とか「そっかー、こまっちゃったんだー」っていう、心理学でやった「フィードバック」方式。カウンセラーなんか行くと、まずはこれっていう技。  技なんだけど、それが必要なくらい、子どもはだれも他に言うひとがいないってことが現代はあるから、やっぱり大切なことだと思う。 奥さんにも 「今日ね、(子ども)の口のなかに小さなブツブツができてたの。なんだと思う?お医者さんに行ったほうがいいかなあ・・・」ときいてきたら、「おれはわかんないよ。明日お医者さんに連れていけよ」の前に、「心配だな〜。」となんでつけない?「心配だな〜」のあとには「どれ、見せてみぃ」でしょう。「おれは医者じゃないからわからんよ」とかつきはなしちゃだめだよぉ。「バラクーダ」だっけ、みたいに、「ぶつぶつかよー!」とか。
●じ:【自信】 =-=-=-=-=-=-= ■自信をもって子育てする?!  「自信をもって子育てしよう」とものの本に書いてある。しかし、いろんな親がいるのに、十把ひとからげでそう言っていいんだろうか?ACのCMでも、病院で銃をふりまわす子どもに(象徴的な意味なんだろうけど)大人は叱ろうといったものがあったが、どこにも勘違いしてつっぱしる大人ってのがいるから、なんかまずいような気がする。  映画『卒業』を見て、ストーカー行為に拍車をかけてしまうやつもいるんだから。。。。  自信のない親が多いってことなんだろうね、そう言い切るってのは。  自分の親の言葉でもいやだったのは「だから言ったでしょ」「ほーら、みてごらんなさい」だった。(はずれたときは言わない)  コロンブスが世界に向けて船出をしたときの航路は出発の港から離れたり近づいたりのジグザグをなんどもなんどもくりかえしている。当時は地球は球だとは思って無く、円盤の形で海の向こうでは滝になって海の水が落ちていると考えられていたから、あんまり遠くにいくと地球(という円盤)から落ちると思われていて、乗組員が反乱をおこしたためらしい。  子育ての基本は、このジグザグだと思う。「もしかしたら、自分はまちがっているかもしれない。でも、今一生懸命考えて決めているやりかたなら、聞く耳をもちながら自信をもってやっていい」というものだと思う。  だから、「きのう、おとうさん、ああ言ってたのに」と言われても、「今はこう思うからそう言っている。一生懸命考えたのだから!」と伝えていいのだと思う。感情や気分次第で決めてるのでなければ、そうそう変わることも無いんだけど、現実には。    それから、「子を思う親の気持ちはしっかりと子どもたちに伝わっている」とは言えない。わかるのは、子どもが親の年齢になってからだと思ったほうがいい。赤ちゃんに離乳食が必要なように、その年齢で食べて消化する機能がなければ、下痢をする。
●し:【自然】 =-=-=-=-=-=-= ■子どもは自然の中で遊ばせる  あたりまえ。 ゆらぎのfていう波があるらしい。自然のなかにだけある、計算されない波。  計算されているような心臓の定期的な鼓動ですら、きちんとゆらいでいる。  複雑な数式を組み合わせてつくる乱数(もどき)では表現できないf。 自然は予測できないことがおこる場。現実というのもそうだから。  テレビゲームのなかでは予測できないことはおこらない。   フリーズ(画面がとまってしまうこと)かバグは予測できないが.....  
●し:【しつけ】 =-=-=-=-=-=-= しつけは社会人の準備。学校によっては「その子らしさを大事に。授業中うろうろしたいのもその子らしさ」とかトンデルことを言うが、ある程度のしつけをしないとせいぜい30歳以降、、、まともな人間からは相手にされないやつになる。アーティスティックなら別だが。  ところが、学校がきちんと学力的な授業をしないようになり、その穴埋めに(けっきょく、学力が問われる社会だから)塾に子どもは通い、家庭で接する時間が浸食されている現状では非常にやりづらいということある。
●し:【写真】 =-=-=-=-=-=-= 子どもの写真をいつも持ち歩け。そして、それを家族に教えておこう。
●し:【少子化対策検討会】 =-=-=-=-=-=-=
●国会内の少子化対策検討会で、育児休業法の改正が話し合われ、育児休業手当の増額と休業期間を延長する方向で一致した。でも、現実、育児休業がとれるのは公務員か大企業。多くの家庭には遠い。
●育児休業を体験した男性の多くは、「充実した時間だった」と語る。 だが労働省の調べでは、育児休業制度がある会社の社員で、子供ができて休業を取った人の割合は女性が44・5%なのに対し、男性は0・16%。 短時間勤務制度は、導入されている企業でも女性が7・9%、男性は0・1%しか取得していない。働く男性の育児には、まだ大きな壁があるのが現実だ。 育児休業制度がある会社はなん%なんだ?
●3か月の育児休業を取ったが、復職してみると、会社の評価が下がったと嘆く声も掲載されるが、下がって当然。嘆くことはおかしい、育児休業が会社の評価アップに貢献するにはしに経験をいかして会社になにかを有形無形で示さないと。地獄の営業マン3か月トレーニングとかだって、会社になにかを有形無形で示さないと評価は上がらない。
●し:【食事】 =-=-=-=-=-=-= ■いっしょに食事しよう。  食べるってのは原始的な行為だから、いっしょに食べるってのは、セックスするくらい価値のあるものだ。セックスも原始的な行為だから。(例えよくないか)。 ホストでも、これという女性とは食事をする。それこそ、2また3またで、一晩に3回夕食を「はじめて」の顔して食べる(だから、太っている人多いとか)。(これも、例えよくないか.....)。  朝食をとらない子どもが増えてる。偏食やら肥満やら、いっしょに食事すればけっこう解決の手がかりがあったのにというケースも多い。おまけに、食事は、身体的な健康だけでなく、精神的な健康にも深く関わっている。 一緒に食べる。それも、せっかくいっしょに食べるなら適度に楽しく明るく。  子どもが中学頃になると親とするイベントの1位は外食。 -------------------------  おとうさんは、食べおわっても、席を立たない。子ども会とかのおとまりのときに、お世話役は、最後までゆっくり食べている子どもが残さないで食べられるように、そのスピードにあわせて、最後まで食べている世話役というのを置く。  早く食べ終わったり、あるいは、朝子どもだけが早く食べているときも、きちんと食卓にすわろう。自分は食べていなくても「いただきまーす」「ごちそうさまー」を言おう。
●じ:【女性も働く時代】 =-=-=-=-=-=-=
●「女性も働き男性も働き家事も育児も共にする。これが当たり前の時代がやってきています」って、最近よく言うけど。  こういう台詞はなんかずれてる。つまり、女性と男性という2つの対立構造で見ているだけで、なぜこんなにしてまで働かなければいけないかという「もともと」を考えてない。  結果、女性も働き男性も働き、しわよせは子どもになっているだけ。  「だから、女性は外で働くな」っていうんではない。  昭和の時代とくらべると、生産性は確実に上がってる。この日本、この世界。  つまり、足のひっぱりあいやダンピング競争(役所がそれを小さいところにばかり争わせている)しなきゃ、それだけ、みんな早く帰れるはず。  ワークシェアリングを採用している会社もでてきたが、これを国レベルでやる時期がきていると思う。  午前中だけ仕事してもまにあう仕事もあると思う。ヨーロッパみたいに2ケ月くらいのバカンスとれるはず。で も、とれない。5月の4、5日の連休にゴールデンウィークなんて、ゴールデンなんてネーミングしてる。どこが、ゴールデンなんだ?4、5日の連休で。  で、今は不況。仕事のあるひとはもう過度に働いている。実際サービス残業のぶんもいれれば時給なんか高校生のバイトのより低かったりするひともいる。そして、かたや、失業率はもうすぐ過去最高。  なんか「これからは女性が働かなければならない時代です。」って台詞は、戦時中のスローガンと似てるなぁ。 ***図***
●す:【好き】 =-=-=-=-=-=-=
●好きということを伝える。きつくおこってしまったときでも、「好きだからおこるんだよ」と、お風呂とかで話す。
●す:【好き嫌い】 =-=-=-=-=-=-= 作家の五木寛之が子どものとき食べていた玉子焼きはオレンジ色だったらしい。おかあさんが、きらいな人参をすっていれていたとか。 ピーマンが嫌いでもにんじん、カボチャを食べるのなら栄養的には問題はない。 どうしても、克服させたいなら、農家で自然栽培のとれたてのおいしいの食べさせる。 「ほや」がきらいな人は多いが、あれもとれたての「ほや」とかんづめの「ほや」は味が違う。
●す:【ストレス】 =-=-=-=-=-=-=
●今のおかあさんたちはかなりきている。  前代未聞のストレスだと思う。  そんな時代にありながら、ほとんどのおかあさんはおとうさんに子育てを期待していない。お風呂に入れてくれるか、ひざの上で遊ばせてくれるだけで、もうおとうさんとしては上等だと思い(あきらめ)、あとのことは期待しないようにしている。  さらに、程度の差があるが、ほとんどのおかあさんが子どもをぶっている。しつけのときに特にひどくなる。そうそう恒常的ではないが、時代的に、ひどくはなってきている。  おとうさんというかつての恋人よ!その彼女を愛しているか?ねぎらっているか?ねぎらわんよな。こっちだって疲れている。赤ちゃんが生まれてからは、赤ちゃんに24時間体制で、心身ともに寄り添っているおかあさん、子育てが大変な時期なんだろうけど、こっちも入社したてのピアスあけた男と違って、ちょうど会社や社会でも大変な時期なんだ。  道徳的に「二人の子どもなのだから、親として責任を分かち合う」とか、男女共同参画的に「子育ては女だけの仕事じゃない」とかいうのもわかるけど、今の時代がおかあさんたちにとって子育てがすごくやりづらい時代であるのと同じで、今の時代はおとうさんたちにとっても子育ても仕事もやりづらい時代だ。  で、どうなる?結果はわかっている。これはいつの時代もそうだ。一番弱いもののところにしわよせがくる。それは、たとえば子どもだ。  子どもたちにはなんの罪もない。  で。どうする?せめて、自分に近い子どもは守ろう。それが最低限。  もしも、もっとステップを高めたいなら、それはこの本の話しからは、ずれる(みんなの選挙のときの投票姿勢を変えなきゃだめだ。誰に投票してもいいけど、写真集の投票じゃないんだから、イメージで投票しちゃだめだ!)。  自分の子ども、家族の子ども、見知った子ども、関わった子ども、その周りにいる女性たちを男は守ろう。せめて、せめて自分の子どもと妻は守ろう。
●そ:【相談施設】 =-=-=-=-=-=-= ・家庭児童相談所 ・保健所・保健センター ・児童相談所
●そ:【存在感】 =-=-=-=-=-=-= おとうさんの存在感 生活を共にしているが、寝床と生活資金のみを共有しているだけなのか? おとうさんがたまに早く帰宅した時は、夕飯の時に家族が今日一日のことを発表するようにしているうちもある。
●た:【体罰】 =-=-=-=-=-=-=
●体罰はやめる。 「これって体罰か?」と思うことが大事。
●た:【食べる】 =-=-=-=-=-=-= おとうさんといっしょに食べる夕食が大切。 おとうさんは、雰囲気を盛り上げるように食べろ。 子どもがしゃべりたくなるような雰囲気 テレビを消す。 食事がおいしいとか言ってムードを盛り上げる。
●ち:【地域】 =-=-=-=-=-=-= ■地域にとけこむために夏のラジオ体操におとうさんも出よう
●て:【テスト1】 =-=-=-=-=-=-=  1.子どもの友達三人の名前を言えますか。  2.子どもの担任の先生の名前と特徴を言えますか。  3.奥さんが二三日家を留守にしても大丈夫ですか。
●て:【テスト2】 =-=-=-=-=-=-=  1.子どものクラス名を知っていますか  「          」    ↑書き込もう  これは幼稚園、保育園ならば、9割くらいは 知っている。これはぞうさんクラスなどとのビジュアルな名前がついているせいもある。小学校になると、授業参観にいったもののクラス名簿に自分の子どもの名前がない!実はクラス、ひどいのになると学年をまちがってたということもある。  基本は、子どものクラスに足を運ぶこと。 暗記してもあまり意味はない。  保育所ならば、なるべく早めに出かけていって園庭などですこしクラスの友達と遊んだり、教室でぶらぶらするのもいい。うさぎとか見せてもらえ。  小学校ならば、たまにはいっしょに「いってきまーす」で通学路を一緒に歩くのもいい。忘れ物なんかしたときにも、なるべくおかあさんにまかせないで、「チャンス!」と、自転車をぶっとばしてクラスにおじゃましよう。  「あ、レモン石鹸!」とか、妙におもしろいものにでくわすときもある。  授業参観もなるべく出よう。義務としてではなく、子どもの成長を見れる時期なんかあっというまだから、行かないのはもったいない。  2.子どもの担任の名前を知っていますか  担任は、子どもとの家庭の話題になるというよりも、これは夫婦での会話に出てくることのほうが多い。  7割が 知っている。  実は、幼稚園の時期のほうが知っている割合は8割。フラチだが、保母さんがかわいい!のでおぼえた ということが、実際にはある。  幼児の集まる場所に他の若いおかあさんを見て「えへへー」としてしまうこともある。でも、いいじゃないか。そのくらいなら。「えへへしにいく」のでは困るけど。  小学校になると、ちょっと遠くなる。これは、実は園のお便り・クラス通信に関係する。つまり、これが冷蔵庫に貼られなくなるといくのがその大きな原因になっている。 案外、冷蔵庫は家庭の掲示板だということをわすれてはいけない。  家のトイレに貼るくらい気合いはいってもいいくらい、園のお便り・クラス通信は情報が満載しているのだ。  3.子どもの友達の名前を知っていますか  これは1〜2人ならば、4割くらい。  3人以上知っているだと、5割くらいになる。  昭和の時代には9割以上が子どもの友達の名前を知っていたという。  4.お便り・クラス便りに目を通していますか     おかあさんは、ぜひしまいこまないで、冷蔵庫に貼っててほしい。それでも、おとうさんが見ないなら、トイレに貼る。それでも、見ないなら、お風呂の湯船のわきに貼ろう。 5.朝ご飯をいっしょに食べますか 6.夕飯をいっしょに食べますか 7.お風呂にいっしょに入りますか 8.家事の手伝いをしますか 9.休みの日は子どもと遊びますか 10.幼稚園(学校)の行事に参加したことがありますか
●て:【テスト3】 =-=-=-=-=-=-= 子どもへのテスト 1 おとうさんの好きな食べ物は何ですか。 2 おとうさんの1番嫌いな食べ物は何ですか。 3 おとうさんの1番好きな教科は何ですか。 4 おとうさんの1番嫌いな教科は何ですか。 5 おとうさんが今、1番熱中しているものは何ですか。 6 おとうさんが今、悩んでいることは何ですか。 7 おとうさんが今、1番楽しみなことは何ですか。 8 おとうさんに点数を付けるとしたら、100点満点で何点ですか。 9 前の問題で、減点した理由は何でしょうか。ズバリ書きましょう。 10おとうさんの良いところはどこでしょう。 11 おとうさんの友達の名前を書きましょう。 (これが、そのままおとうさんのテストでもあるのだ)
●て:【テスト4】 =-=-=-=-=-=-= おとうさんへのテスト 1  子どもの好きな食べ物は何ですか。 2  子どもの1番嫌いな食べ物は何ですか。 3  子どもの1番好きな教科は何ですか。 4  子どもの1番嫌いな教科は何ですか。 5  子どもが今、1番熱中しているものは何ですか。 6  子どもが今、悩んでいることは何ですか。 7  子どもが今、1番楽しみなことは何ですか。 8  子どもの良いところはどこでしょう。 9  子どもの友達の名前を書きましょう。 10 子どもは大きくなったら何になりたいと思っているでしょう。
●と:【トイレ】 =-=-=-=-=-=-=
●トイレを明るく 20ワットの電球でなく、100ワットにする。 明度だけでなく、トイレにいくのが楽しくなるように、なにか好きなポスターを張るとか工夫をする。 今はコンビニだって、明るいから受けているのだ。かーっと明るいトイレ。ポスターは優香!。。。ちがう!おとうさん!子どもの好きなポスターを貼るのよ。
●ど:【道徳教育】 =-=-=-=-=-=-= ■時代的には非常にやりづらい。 テレビひとつとっても例の10くらいはだれでも上げられると思う。  昔は子どもの見る時間にサラ金のコマーシャルは流れなかった。  そんな時代でも、道徳的に育てたいならば、親がすることで教育するしかない。 子どもは言ったとおりにはしないけど、親がやったとおりにはする。 社会がどんなにすさんでも、いちばん身近な親がその路線で生きてなく、それが子どもの目に幸せだと見えれば、子どもはそのとおりにする。 「愛情豊かにしよう」「障害のあるひとを助けよう」「差別しないようにしよう」という標語をいくらとなえても、親がそういう現実を歩いてなければ子どもには意味はない。
●な:【なぜ?】 =-=-=-=-=-=-=
●子どもの疑問「なにあれ?」「どうして?」にはちゃんと答える 。 これは子どもの年齢によって回答は変わる。ちいさいときは自分の疑問にいちいち答えてくれる(応える)ことが重要で、本当っぽい「うそ」の答えでもいいらしい。 でも、本当に「質問」っていう感じで来た疑問には、「子どもには理解できないだろうな」と思ってもきちんと答える。 もっと年齢が行けば、親が答えるだけでなく、一緒に百科事典を引くとか(インターネットで検索するとか)、自分で処理できる手段を教えていく。 いずれ、「なぜ」とかの疑問を持てるということ自体、受け身のオーディエンスばかりが育っている現代では大事なことなので、うるさがらないこと。 (うるさいときでも、「ごめん、いま頭痛いのであとで答える」とか、きちんと理由を言うこと)
●は:【働く】 =-=-=-=-=-=-= ●おとうさんの働いている姿  収入を得て一家を支えていても、銀行振り込みの給料。給料日にキャッシュカードですでに妻によっておろされた現金から、夜におこづかいをわたされたりする。  存在感がつたわらない。もしかすると、キャッシュカードでおろしている奥さんも、テレビゲームで子どもがリアルを捨てているように、なんか夫が働いているリアルをわかってないのかも。暗唱番号押せば、毎月出ると思ってる? (穴に落ちて行った無数のスーパーマリオはどうなったんだろう?画面の下に白骨化したマリオの山があるのかな?) 見せようね。職場。せめて、休みの日に、「ここがおとうさんがはたらいているお席だよ」と。 ●夕食時間におとうさんがいなくてもお茶碗とお箸を並べるうちもある。「おとうさん、お先にいただきますね」といって家族で食べる。
●「おかえり〜。お疲れさま!仕事大変だったでしょ?ありがとう。あたしも、( 夫 )のこと考えてガンバったよー」
●は:【話し方】 =-=-=-=-=-=-= 「事実を伝えるだけの「仕事言葉」」と女性には批判されるが、会社では忙しい、また、報告を待っている相手への配慮として、結論を先にいうこと。そのあとに、その逸話を話していく。「あのとりひきはB社にとられました」のあとに、「きのう見積りを作りまして、担当のMさんに.....」と話す。 しかし、女性は気持ちを通い合わすという「ラポート(信頼関係を作る)・トーク」で話すと言う。つまり、「(子ども)の熱、どうだった?」の問いかけに、「朝、あのあと吐いたから、車でH先生のところにいこうと思ったら、電話がきて」から延々と結論がでてこない。 だから、夫は「ラポート・トーク」をじっと聞く「辛抱」を学ぶ。東京タワーの横に「忍耐」なんて書いてあるペン立てを会社で使ってもよい、 妻は、結論をまず先に言う。そして、そのあとのラポートをきかない夫ならば、工夫するのだ。「大丈夫、お医者さんで点滴うってもらって、平熱に戻ったよ。でも、みょうなことになるんだけど」と、TO BE コンティニューをいれるとか。「大丈夫、お医者さんで点滴うってもらって、平熱に戻ったよ。で、これ!」と、1個のかりんをテーブルに置く。あとは、話したいだけ話す。「ということなの」「で、このかりんは」「あ、あれえ?なんだったかなぁ、、、、。きのうもらったんだよね」。
●ふ:【風呂】 =-=-=-=-=-=-= 子どもの背中をきれいに流してやろう。 親の背中を流させることも、またいい。
●へ:【部屋】 =-=-=-=-=-=-= ●
●子ども部屋を閉ざさない これは限度問題。なにからなにまで親の注意が必要な時期は幼稚園くらいまでで、親に秘密をもったり親をだましたりとかだって必要。  ただ、学校から帰ってきて「ただいま」も言わないで、部屋にとじこもってしまうのがずっとだとまずいらしい。いったんは注意し、それでもだめなら口うるさく言わず、数日おきに廊下でおとうさんがなごんでで「おかえり」を言おう。(クリンチ攻撃である)。廊下でのなごみかたは、路上にすわりこんでいる若者を参照すること。  リビングに「ただいま」と顔を出してから部屋に入るとか きめごとをするのも手だが、その際にはぜったいにこちらが「おかえり」という環境をつくること。  電話中でも「おかえりぃ!」。こみいったニュースをテレビでみてても「おかえり!」。 ●こたつ効果  子どもが大きくなって子ども部屋にこもるようになっても、何となく皆こたつには集まる、火だともっと集まる。  誕生日とかイベントにはなるべくキャンドルを使うのもいい。
●べ:【勉強】 =-=-=-=-=-=-= 小学校低学年では、親のそばで勉強させるとよいようだ。わざわざ「個人家庭教師」の宣伝のようにくっついて勉強というのでなく、たとえば、夕食を作っているときに台所のテーブルで勉強させるのでよい。 1.親のそばということで心理的に安心した状態にいれる。いっしょでいることはうれしいことというのが低学年の一般的な傾向。  ここで、勉強している姿をみてもらって、親に「がんばってるネ」と言って欲しいようだ。 2.勉強にかぎらず親と会話できることで心理的に安心した状態にいれる。親も授業科目を知っておけば、「今日の社会なにやったの」と水をむけることができるし、そこから「学校でネェ」といった会話をしながら勉強できる。 3.子どもはわからないことを親に聞ける。
●ほ:【ほめる1】 =-=-=-=-=-=-= ■良いところを見つけてはほめる ある女子社員をおこったら「あたし、ほめられて伸びるひとなんですぅ」と言ったとかいう話があった。ほんとにあったのかは疑問だが。  そういうのも問題だが。
●ほ:【ほめる2】 =-=-=-=-=-=-= ●ほめる=認める
●ほ:【ほめる3】 =-=-=-=-=-=-= 子どもは、おとうさんからほめられるとうれしく、おとうさんから叱られると強く心に残る。おかあさんから聞いた話でほめたり、叱ったりしてもよい。
●ほ:【本】 =-=-=-=-=-=-= ■子どもに本を読んで聞かせる 幼稚園くらいだと「エルマーの冒険」とかおすすめ。 「リトルトリィ」はいい本だけど、言葉が難しくておとうさんが「通訳しながらよまないといけない。 絵本だって、どんな本がいいかって、それは、親が読みやすいやつがいい。 あ、クリスマスとかで、内容知らないでプレゼントはよくないよ。 小さい子は、好きな絵本は、何回でも読んでほしがる。 自分も幼稚園のとき『家なき子』読んでもらってた。 一緒に読んでくれる親と共感しあうひとときが大事だし、なにより、自分が愛されて育っている実感が得られる。 ほんとに短い時間でもいいからなるべく毎日本を読んであげる。
●ま:【まきこむ】 =-=-=-=-=-=-= ●
●おとうさんをまきこむ姿勢2パターン 1「.話しがあるんだけど」の正攻法。  正面から不満を話して、子育てへの協力を考えてもらう。  離婚でおどす。 おとうさんは、おかあさんの子育ての苦労を悪気もなくわかっていない。確信犯的に、「仕事だってあるし、慣れない作業は面倒だし、ママがやってくれるからいいや」という見ないふりというのもある。相手にすると面倒だと思って、不満を言われないおとうさんは、おかあさんは不満はないんだろうと思いこみたい。 おかあさんも、これだけ頑張っているのだからわかってくれているだろう思い込むけど、それは「機転のきく夫」「察することができる夫」ができることであって、そんな彼氏をゲットできたかどうかは「あなたの腕次第、目利き次第......」である。 ふつうは、伝わっていない。 受験のときの自分を思い出して見るといい。 「勉強しない!」とやきもきしている親がおとうさんで、「がんばっているのに」と思っている子どもがおかあさんという構図。 妻:「ほんとにあたしのこと愛しているの?」 夫:「言わなければわかんないのか?」 と同じこと。言わなきゃわかんない。 結果、どうなるかはそれぞれ。かならずしも、作業の分担が結論ではない。きちんと聞いてくれ、相談にのってくれる環境になりましたってだけで、問題はかなり軽くなる。 いわゆる、「夫の精神的サポート」。子育てにかける時間や労力より、夫婦間の心のつながりやいたわりが大事ってこと。 2「やってみるとたのしいよー」とだます。  うそだね。これは。  子育ては楽しくない。大変なだけ。  ただし、子育ては楽しくないけど、子育てを通して関わる子どもは楽しいし、気持ちも安定させてくれる。  リヤカーに優香をのせて、坂道をのぼっているようなもんだ。ときには、優香の重さが憎くもなるけど、優香といれることってのは楽しい。  なんじゃ、このたとえ? ほとんどのおかあさんは「子どもに喜びを感じ」かつ「子育ては重労働」と思っている。  子育て自体が楽しめるというのは、たとえば不妊っぽくてここまでが大変だったとかで、この子どもを世話できる環境に「ありがとう」と神様に感謝できる心になっているひと。  「育児は楽しくて、こんな楽しい育児は夫にはさせられない」というように振る舞うことをすすめている本もある。ほとんどトムソーヤの冒険のペンキ塗りのシーン。でも、おとうさんは、そんなに長く育児をしないから、(ペンキ塗りが短い時間だったように)だましてもきづかないかも。  でも、ほんとは、子どもといれることの楽しさを知って欲しいね。  子どもといると、それなりに会社のストレスとかなくなってもいく。いっしょに遊んで、こんなおれにでもキャッキャッ喜んでくれる子どもといる「POPな楽しさ」もある。会社ですごくつらいことがあっても、子どもの寝顔とかクレヨンで書いたまるとかそんなのを見たでけで「はげまされる」「HOTな楽しさ」もあるんだと思う。
●ま:【真正面】 =-=-=-=-=-=-= 真正面から受け止めろ 「おかあさんたちが必要としているのは、おとうさんがまず育児のつらさを真正面から受け止めてくれること」 だいたいにして、おかあさんの会とかあるけど、しょせんはうわべの付き合いの部分が多い。それが社会だからね。こっちとら、セックスまでした仲ですから、おとうさんは真正面から悩み受け止められるでしょう。ぐさぐさ言い合ったりしてもいいんだよ。(って、おとうさんはあんまり言うなよ、ぐさぐさ) でないと、今の時代、同じくセックスまでした仲の元カレとか、セックスまでできちゃうかもしれないメル友のとこイッチャウヨ。 へたに、食事とかプレゼントとかでごまかさないで、ほんとのところを言い合うのが大事。
●ま:【まわり】 =-=-=-=-=-=-=
●まわりの光景を見る 悩みは、相談とか 気取らないまわりの光景を見るとよい。 他のおとうさんおかあさんと関わることで、相談相手になるとことよりも。他という「横」を見ることが大事。 はなから、現代は、母親だけとか、家族だけとかで子育てをぜんぶ背負うのは無理。環境悪すぎ、政治悪すぎ。 1番つらいことは孤立感、孤独感。 悩みを一人で抱え込まないで、地域の相談窓口や子育てを応援・サポートしてくれるシステムなどが利用できるようになっている。「ひとりぼっちだ」「誰も分かってくれない」とひとりで抱えこむことない。 でも、案外と有効なのはまわりをみること。あんがいとどこでもうまく行ってないもんだから、それを見たらこんなもんかーって思って、無駄な力が抜けるはず。  友達や、親とか兄弟姉妹とか、とにかく気取らないありのまんまの現実を見せてくれるまわりを見つけよう。いきいきわくわくと楽しく子どもを育てるには、親にも助けが必要。  もし、みつかんなかったら、インターネットで「子育て 悩み 仙台 掲示板」とかの検索でそうした本音がとびかっている掲示板を見つけることができるので、そこで打ち明けてみるといい。  ただし、言葉のきついやつとか、教科書的なやつとかもいるので、そういうやつが現れたたら、気にしないで、一番いいのは深追いしないでその掲示板は見ないというほうが気持ちは安定する。別な掲示板に別な名前でまた新たに参加したほうがいい。そういった意味でもハンドル名は本名から離れたものを使ったほうがいい。 ちなみに、おとうさんもほかの幼児ともかかわることで、自分の子の普段見ない面を知ったりできる。また、子どもとの関係を家の中から一歩出る事で、客観的にとらえ直したりができる。
●も:【もの】 =-=-=-=-=-=-= ●
●もので埋めない 昭和59年にアメリカのショッピングセンターを視察した。(勤めていた会社が旅行代理店の関連会社をもっていての、強制的な自己負担40万円近いやつだった。内容はよかったけどね)。 当時のアメリカと日本の関係は今ほどどっちが勝っている負けているという比較ではなくて、(そう言われるようになったのはバブル時期だと思う)、ものごとの動きが日本の先を行っているというとらえかただった。  当時のアメリカは共働きの家庭が増えていて、そのときショッピングセンターを見ておどろいたのは子ども用のブランドの洋服がたくさん売られていたことだった。  そのとき旅行引率のコンサルタントは、親が働いていることでのコミュニケーション不足などに対しての良心の呵責をブランドで埋めている傾向にあるという説明をした。  当時の日本の子どもの着るものはほとんどがノーブランドだった。  その後、仙台にもミキハウスがショップをかまえ、子どもがブランドを身につけるのもめずらしくなくなった。(ブランドについては少子化とか、シックスポケットとかいろんな要因もある)  しかし、子どもの心をもので埋めてどうするんだろう? 「ものより思い出」というキャッチコピーのものである車のCMなんかはなんか微妙だ。  両親が働きながら子育てをするのも珍しくはなくなった。結果、ゆっくりと子どもと接する時間が少なくなりがちになっている。アメリカ的な子育て手法で、帰ったらぎゅっと子どもを抱きしめて10数えましょうという講座もはやっているらしい。  気持ちはわかるので責められない。。。
●風俗嬢はなにかダメージをどこかに持っているという。なかには、経済的に恵まれている子どもも含まれているが、話しを聞いてみると、家庭的には恵まれていないことが多い。
●も:【ものさし】 =-=-=-=-=-=-= ■子どもを偏差値のものさしでだけで評価するな 他の子どもや平均値との比べてると、その子どもの良さを見失う。  ものさしはひとつじゃない。 今の学校教育は、ものさしを捨ててる。表向きは。 小学校の通信簿はどのくらいの位置にいるかがわからない、本人の努力評価みたいな通信簿になっているし、運動会でも「みんなで手をつないでゴール」とかやってるし、一等はノート、2等は鉛筆、あとは「なし」ってのもない。演劇ではみんなが主役とか。。。  いいけど、そうは言ってても、偏差値のものさしだけはきちんとある。  学歴だとか大卒の時代は終わったとかいうけど、終わったんじゃなくて、東大の頂点はそのままに、他の大学の価値が暴落しただけ。将来の生活を高給なまま安定を得られるキャリア官僚は、偏差値のトップから採用する。悪いほうからじゃない。ものさしは、ある。偏差値のものさしだけはきちんとある。  個性を重視したいなら、社会に偏差値以外のものさしをいろいろもたせることが必要だ。運動の得意な子どもはそれを評価されるべきだし、演劇の才能がある子どももまた、それを評価されるべきだ。  他の価値がきちんと認められる社会を親の世代がつくなきゃダメだ。
●や:【やめる】 =-=-=-=-=-=-= ●
●子育ての時間を大切にしようと思い、妻が仕事をやめる場合がある。  ところが、その10年後あたりから、高校・大学への進学に学費や諸経費がかさんでくる。そのころは、育児から手も離せる状況にあるから、その資金を稼ごうと仕事に戻ろうとする。しかし、仕事に復帰することは難しい。結局、低賃金の単純作業のパートしかない状況にある。  これをみこして、子どもを小さいときに託児所にあずける家庭もでてくる。その時期にかせいだお金はほとんど託児所の費用に消えるが、仕事のブランクをつくらなかったおかげで、後日の労働単価は低賃金ということはなくなる。  東大合格者の家庭の所得の平均が1100万円というデータもあるが、教育には実際お金がかかる。とくに、この不況は深刻で、お金のために進学をあきらめている、進路を変更している子どもたちは多い。
●よ:【幼児虐待】 =-=-=-=-=-=-=  多くの夫はそんなことに自分の家庭がなっているなんて思っていない。当然、機転のきく夫や察することができる夫、あるいは、そうした問題をうまく妻が夫に伝えられていればかなりは回避できている。  たとえば、夫に優しくお願いするとか、おだてるとかのノウハウ、「ご苦労様」「助かったわ」「ありがとう」の一言で簡単に木にも登る単純な男達に、がなりたてたって、耳をふさいでパチンコに出かけてしまうのがオチだと思う。(やりかたがへた)  おとうさんたちに、家事育児の大変さを伝えても、実は、おとうさんたちも大変なんだ。  それでもって、多くの夫婦はそれぞれ自分のほうが大変だと思っている。  育児主婦は120%くらいの、キャパをこえた仕事をおしつけれていると思う。が、実は多くのおとうさんも平成初期の景気のよかった時代からくらべると120%の仕事をしている。(仙台市の調査でも、平成6年より、平成12年のおとうさんのほうが子どもとすごす時間は少なくなっている)。  竹中平蔵氏は著書の中で「この不況下で8社に1社は過去最高益を記録している」なんてのほほんとしたことを書いているけど、それは勝ち組(というか、ヒエラルキー(三角形)のてっぺんの話。シャンパングラスのタワーは、つまれたヒエラルキーは上がみたされないと、下までシャンパンは降りてこないようになってる)の話し。そんな勝ち組は必ずしも「着想」で勝ったのではなく、特殊法人とか銀行とか、天下りをうけいられる会社とかであって、そのてっぺんに「いる」というのが実情)のことであって、言ってみれば8社のうちの7社はひーひー苦しんでいる。  ヒエラルキー、シャンパンタワーは競争社会であって、さらに、天下りだとかキャリアとか銀行員とか優遇されているのにも、彼等はすごく勉強もして得た地位なんだから、そこに「入れなかった」ひとがそれに文句を言うのはねたみだよね。  でも、優遇される彼等が、今の日本経済のもっている少ないパイをあまりに独占しすぎているから、これだけ貧富の差が激しくなったんだと思う。  ドル紙幣の裏にあるピラミッドの絵みたいに、一部の目のところだけ遊離して優遇されている。パイ自体が豊かならば問題無いけど、この経済状況でほとんど優遇されたひとの給料とか退職金に消して、経済にまわさないのは自滅でしかない。行政の管轄のエリアは、この時期だけはもっと経済全体のことを考えて運営して欲しい。  いま、特殊法人を民営化することと、銀行の不良債権処理が構造改革ってことになっているけど、それって「改革を構造しちゃいかんってことだね」だよね。(缶コーヒーのCM)■特殊法人を民営化しても、天下りしてたら変わんないよ。  そういう天下りとか、天下り優遇の発注の構造が改革すべき構造なんじゃないの? ■不良債権処理って、逃げたひとたちをなんでアメリカみたいに追及しないで、税金いれてるの? そんな不良債権をつくってしまった、政策と大蔵省OBの不透明なつながりが改革すべき構造なんじゃないの?    市民からすいあげた税金がOBもふくめて内輪のひとたちのなかで、消えている。役所内のことだけでなくて、民間に流れていても、その流れがすごく不透明で、きちんと競争されてないところが栄養をもっていちゃってる。ガラス張りのところもあるけど、それって苦しんでいるところばっかりガラス張りにしてて、以前として見えないところがあるんだよね。   で、そこは、官僚のみなさん関係の上の内輪のひとがいるから、内輪のひとの給料とか退職金に消えてる。その下請けには流れない。経済にまわらないで一部の個人に貯蓄される。  けっきょく、そういう行政コネのない多くの生産するひとたちとかはほとんど利益がとれてないし、ひどいのになると中小企業の社長個人の資産を処分しながら、会社が回っている。  銀行に税金を流しているけど、そんな状況でありながら、なんで一部の銀行のひとにはボーナスがでているのか不思議だよね。同じことが、行政のなかでおこっている。  そりゃあ、官僚のみなさんも給料とか減ったんだろうけど、給料が50万もらってたのが35万になっても、いままで、20万のひとたちが12、3万になっているとか失業してるのと一緒ではないと思うよ。    おとうさんも大変だし、それこそ、つねりたい得意先や、なぐりかかりたい所轄官庁の職員なんていると思うよ。おかあさんがかなりキテイルように、社会全体がキテイル。  ところが、ここは考えてほしいんだけど、男(男が働いている場合の想定だけど)は会社にいるあいだ以外は自由時間があるということ。女は24時間営業ということなんだよね。で、ここで、それこそ、機転のきく夫や察することができる夫はたいてい自分にむちうって家事や育児もやってる。  これはわかってほしい。それとも、みんな8社に1社は過去最高益の夫の妻なのかな???  できるならば、120%の家事育児でも、主婦同士の協力で120+120+120は360じゃなく、99×3くらいになるんじゃないかな?  あと、(これは老人介護が始まるまでのある一時期といえばそうなんだけど)、子どもが小学校にあがったころの主婦っておとうさんから見るとすごくうらやましかったりする。 「おれもカルチャー教室いきたいよ」とぼやいているおとうさんもいるよ。 ------------------------- あ:【遊び】 =-=-=-=-=-=-= 子どもとの遊び   ひらがなカタカナ数などを楽しく教える、ローラーブレード、将棋 ローラースケート、パソコン、フリスビー、セーラームーンごっこ 水泳、オセロ、坊主めくり、肩車、レゴ、積み木、川遊び、なぞなぞ ゲーム、戦いごっこ、ミニカー競争、縄跳び、公園で遊ぶ、 自転車乗り、ボール遊び、お絵かき、工作、運動、カードゲーム 砂遊び、ウルトラマンごっこ、かくれんぼ、プロレス、折り紙、洗車 バドミントン、おんぶに抱っこ、パズル、風呂の中で、シャボン玉 ハイキング、野球、スキー、テニス、キャンプ、サッカー、つり けんぱ、サイクリング、キャッチボール、ピアノ、TVゲーム ブロック、本読み、ふざけっこ、ごっこ遊び、プラレール、虫取り リクエストがあればなんでも、プラモデル、じゃれあう、磯遊び ドライブ、散歩、鬼ごっこ、すもう、ままごと、トランプ、すごろく、カルタ遊び   ------------------------------- 天気予報% ------------------------------- 「ファクスをフル活用し、残業の時には、長男(25)ら3人の子どもに煮物などおかずの下準備や作り方を指示しています。家事を嫌がらず助かっています」と、やはり子どもの協力を挙げている。 *:・'゜☆。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。.:*:・'゜ -------------------------------------- -
●親が子どもに与えられるのは兄弟と教育
●イタリア ベビーシッターを雇うなど家庭内の労働を外注した場合、年間三百万リラ(約十六万五千円)まで費用の実額を税金から控除する制度がある。 ●
●おとうさんに対する不満 「仕事が忙しくて帰ってくるのは夜中。」 「平日は全く子どもと会わない」 「週末は寝てばかり」 「我が家は精神的母子家庭」 「夫婦らしい会話ってしていない」 「なんで私ばかりが子どもの世話しているの!」 「家族より仕事の方が好きなの?」 「細かいことごちゃごちゃ言わないで!」 (たまにはオムツを替えて欲しいなあ) (オムツなんていいの、そのかわり週に2回くらいはお風呂に入れてやって欲しい) (うんこだけまわさないで、ひらいたら、ちゃんと処理してほしい)(赤ちゃんの事はいいけど。週末にお買いものをしてきてほしい) 「たまには1人の女性として、妻として見て!」 「いつもどなっているけど、本当はやさしい父ちゃんが好き」 「ボクもおとうさんと同じ仕事がしたいと思う」 「仕事がんばってボクの目標になって下さい」
●各家庭によっていろいろなおとうさんのレベルやいろんな形のおとうさんへのニーズがある。 ●
● おとうさんにしても、エリート級になれば自分自身で満足でき、さらなる重大な責任のある仕事へと勢力を費やす。 逆に、リストラや就職難に陥っているおとうさんは、自分の世間体や家族を養わなければという責任に手いっぱいで、子や妻に対する接触が少なくなる傾向にある。 --------------------------------------- ------------------------------ DATA:  子どもへの対応では、母親の83%が「どなる」、55%が「たたくことがある」と答え、父親の各73%、38%を大きく上回るデータがある。子どもと接する時間がためか、母親のほうが父親に比べて育児ストレスが高いようだ。 --------------------------------------- 「仕事は、忙しくても自分の段取りでできる。でも、育児はすべて相手のペース。まるで奴隷で、精神的につらかった」 「新しい発見もあった。ベビーカーを押して歩いていると」 ●おとうさんにしてほしいこと だっこや肩車などのスキンシップ くすぐられたり 男の子はサッカーや野球を一緒にしてほしい(昔ながらの希望が多い) 女の子はお絵かきやお人形遊びで一緒に遊びたい。 おとうさんと一緒ならどこかへ出かけるばかりでなく折り紙やゲームなどで遊びたい。
●子どもと遊ぶのが上手なおとうさんと、へたなおとうさんがいる。
●子どものおとうさんはひとりです。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ●夫婦揃って過剰期待や過干渉になるケースも多い。 -------------------------------  〈1〉帰宅後は妻の話を聞く  〈2〉疲れているのはお互い様  〈3〉夕飯がいらない時は早めに連絡する  〈4〉時には休日にフリーの時間をプレゼントする
●都会の角の小さな公園だって、小さい子どもには十分の広さがある。遠出することばかりが遊びじゃない。
●子どもとのんびり歩いたりしていると、今まで気づかなかった小さな自然にめぐりあえる。
●ワーキング・ママ(マザー)という言葉はあっても、ワーキング・パパいう言葉はない。美人ママという言葉があっても(『美人ママ殺害事件』とか)ブスママという言葉はない。美人ママは話題性がある→ワーキング・ママは話題性がある。/ワーキング・パパはパパがほとんどワーキングだということ→ママはほとんどブスだ。(か?) ------------------------------- ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ******** スキンシップ ******** (抱きしめたり、手を握ったりのスキンシップもつかって気持ちを伝えるのはいい。これって選挙運動と同じ?) おとうさんやおかあさんに相手をしてもらうのが赤ちゃんは大好き。 「ほっぺチョンチョン」「お鼻ツンツン」なんかは恋人のじゃれあいのごとく、楽しもう。「いない、いない、バー」「べろべろー」 ******** ******** ******** ******** ********
●責任感
●自立心 ■年中行事・祭事をやろう ■子どもの夢や希望をけなすな
● 「子育てなんてこんなもの」 「子どもなんて思い通りにならないのがあたりまえ」 「しかたない」 「まあいいか」。
●本に書かれているのはあくまでも目安。
●「よくやっているよ」 「これでいいよ」
●おかあさんを育児から解放する。父と子二人だけの時間を作る。
●カンガルーは、産後1年ぐらいの間、 赤ちゃんをおなかの育て袋の中に入れて育て ■子どもへの言葉 ○おかあさんは、お前の親で良かったよ。 ○せんたく物を取り入れてくれたので、安心して働けたよ。 ×こんな子を産むんじゃなかった。 ×そんなことではご飯食べさせないよ。 ×お風呂に早くはいりよ。ガスがもったいない。 ○お風呂、何時にはいるの?→○決めた時間にはいれたね。偉い!              →×自分が決めた時間に入れないではいけませ                ん。怠け心が働いています。 ○おとうさんも疲れて寝ているのよ。あんな恰好で寝れるのも家が落ちつくか らよ。 そっとしておいてあげましょう。 ×おとうさん、なんてだらしない寝かたでしょうね。 ==========  そして、あっというまの5年の月日が流れた。5年といえば、ぼくらが「こども」であったころの5年はなんて豊かにゆっくりと流れていたのだろうか。小学校に入学したばかりで桜が葉桜になったころが平成5年の集まりだったと考えれば、今回は「来年はこの小学校でいちばんのお兄さんお姉さんになるきみたち」なんて先生に言われている計算になる。  思えば、あのころは生活がかなりバラエティだったのかもしれない。一日をとってみても、国語をやり、体育着に着替えて校庭をかけまわり、算数をやり、給食を食べて、図工をやり、さんざんそれらの休み時間に遊んでいたにもかかわらず、ホームルームが終わってもまだ3時 という頃だったのだから。いや、ぼくたち「おとな」も、この5年はそれでいてけっこう激動の時代だったということもあるかもしれないか。でも、身長はあのときの5年ほどに伸びたやつはいないはずだ。 けっこう人間関係に(育児    サークル)で悩んだ結果、なかなか育児ママ同士の付き合いに上手くつ    いて行けなかった私 「子どもとどうやって遊べばい    いのかわからない。」という1、子どもの学校の行事には出席したことがない。 はい、 どちらでも、 いいえ、2、子どものクラスの先生の名前は何も知らない。 はい、 どちらでも、 いいえ、3、会社や大学を毎日往復する生活をしている。 はい、 どちらでも、 いいえ、4、重要時に部下が風邪で休んだら首にできる。 はい、 どちらでも、 いいえ、5、権威者や社長上役には真剣にゴマを擦れる。 はい、 どちらでも、 いいえ、6、会社の親善活動や体育活動は出た事がない。 はい、 どちらでも、 いいえ、7、競争相手には重要な情報を知らせていない。 はい、 どちらでも、 いいえ、8、奥さんや子どもの友達の名前を5名は言える。 はい、 どちらでも、 いいえ、9、会社の仕事以外には趣味と言える物が無い。 はい、 どちらでも、 いいえ、10、朝9時に出て帰宅はいつも午後11時過ぎ。 はい、 どちらでも、 いいえ、 :【】 =-=-=-=-=-=-=
●よ:【喜び】 =-=-=-=-=-=-= 子育ての喜び 自分がしてあげたことを喜んでくれるとき 親離れの言動に接したとき スキーが行くたびに上手になって、大きくなっても同じ趣味が持てると思うとき いっしょに遊びたがっている様子を見たとき 一日の仕事が終わり、家族と一緒の食事の時 何かに興味を持ったとき 何かができたとき 会社から帰って「おとーさん!」と迎えてくれるとき嬉しくほっとして疲れもなくな る 子と親とともに笑い、泣きする時 親に全幅の信頼を寄せて接してくれる時 子どもの笑顔を見たとき 他人の気持ちを理解してると感じたとき 元気なやさしい子に育ってくれているのを目のあたりにしたとき 自分で考えて物事を成し遂げようと努力する姿を見て兄弟仲良く遊んでいるとき 寝顔を見るとき いっしょにお風呂に入ったとき かわいいしぐさをするとき 朝晩に玄関に出て見送り、出迎えてくれるとき 幼稚園の制服を着ているとき大きくなったことを感じる 子どもを抱っこしたとき 幼稚園での作品等を持ち帰ってきたとき 健康であること 自分に似ているところや、自分と全く違うところを発見したとき 新しい歌を覚えて歌ってくれるとき 言葉や字を覚えだしたとき 夜、本を読んで聴かせながら寝付く子の顔を見るとき 人としての受け答えが帰ってきたとき 叱っても、怒ってもパパ、パパと慕ってくれる いろいろなことを話してくれるとき 元気な声で挨拶をしている姿を見聞きするとき