カルマ  
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●自分に自信をもてなくしている世の中
 ただ、そういうふうに 自分に自信をもてなくしている世の中ということはあると思います。
 日本全体としての、不況というのは改善されているのかもしれないのですが、 アメリカのように貧富の差がはげしくなったことや、この不況を埋めていったのは、 零細企業の社長たちの個人資産が埋めたのではないかと思うときがあります。
 社会は、相変わらず、心の奥でがっかりしているひとが多いし、なんでこんな目にあうんだろうと思って当然のことが、 まだまだ多い、、というか、平成5年のころの不況時よりも劣悪になっていると思います。
 たぶん、労働力を安く買い叩くために、ひとを財産として売り手は感づかないように、 ゾンザイに扱っている富裕層がある感じがします。
共働きがあたりまえになると、子育てや家事は確実にいままで片手間にやっていたわけではないのですから、 その分のひずみはでます。国からの子育てや家事への評価は低いです。それも条件付です。 つまり、国からの子育てや家事への評価は、夫が控除金額以上に働けるような環境を妻が与えていること、つまり稼ぎがないと評価は0です。 さらに、評価は 妻自身への控除金額分です。

パソコンや科学の進歩により生産性があがっているのに、労働力の供給量は上がりますから、 ひとの労働の価値は下がります。
 

●こころのまんなかにぽっかりと大きな穴
 そんな、扱いをもうかれこれ10年以上やっているのが日本です。
わたしが、テレビのニュースのコメンテーターやっていたとこにはじめてスーパーでの銃の発射事件が あってたいへんなニュースになったのですが、最近は、もっと残酷な事件が朝食時に流れて 、それをみながら平気で食事をたべながら、学校や会社にでかけるのが日本の平均的な家庭に なってしまっています。
 たぶん、日本は宗教がなく、おまけにじいちゃんばあちゃんとの交流もきわめてすくないから、 こころのまんなかにぽっかりと大きな穴があいている。
穴を埋める、 指針をいちから自分でみつけないといけないしんどさがあると思います。


●生きる意味
 よく、若い人と話していると、生きている意味がわからないとか、なんで生きなきゃやいけなん ですかという会話があります。


●たぶん生きるというのは、
 たまたま この世にきたのではなく、わざわざ選んで生まれてきたのでしょう。
でも、そのわざわざ選んで感 がなんかなくなるというか、それを見つける勇気というか、 力というか、が どうもきつくて、自分を消してしまう。
和を尊ぶのではなく、自分を捨てる意味での和を選択してしまう。
それ自体になにか学びがあるのかもしれないのですがね。。
カルマは、この世にわざわざ選んで生まれてきた、人生の宿題ですよね。
予定された宿題。
問題集。
だから、今そうしてその仕事にあるということも、それなりの学びのために  わざわざ自分が選んでそうしている。
たとえ、失業中でも、それでなにかを学ぶためのもので、なんかうまくいかなくて失業してたり、 いや上司がいたりではなくて、もう、順調に失業している、順調にいやな上司と接している。。
もう、計画通り、、、。
 ただ、見えるのは、どうやら、前は逆パターンをやっていたらしい。
たとえば、生活や子供の教育のためにあくせくいやな仕事をしているならば、それを自分でなんで計画して生まれてきているのか?  どうやら、前は、生活や子供の教育のためにあくせく働く必要がなく、好きない仕事をしているために学べなかったものがある。


ならば、いっちょ、生活や子供の教育のためにあくせくいやな仕事をしていることで、なにかをつかんでごらんと。


 まあ、それも、たまたま生まれたというのではなく、 わざわざここに生まれてきているという考えがあってのことかもしれませんが。