科学とスピリッチュアル  
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これは20世紀少年の
「なんでもいいんだよ、信じるものが欲しいんだ」
という発言に符合するのですが、
ひとを掌握できるものは 
科学ではないものなのです。


科学では無いから、信じるのです。
ひとを愛しているというようなこととか、 どうやって科学で証明するのでしょう?

飯田史彦理論(生きがいの創造)は、ズレています。
(というか、科学的だと言って信じさせる手法が
 カルト宗教に似ています。飯田理論は
 危険ではないし、いい思想ですが、
 手法は オウムなどと 同じです )

あなたの身の回りで
「信じているもの」を
あげてみてください。

   
縁起悪いことを言うと悪いことが起きる
   、、、これは
科学ではありません。


ものが下に落ちる
   、、、これは科学でしょうか?
       信じているでしょうか?

科学が信じるの上にあるのではないのです。
もともと、ちがうもので、
上下の問題ではないのです。


科学が上だと考えると、
オウムのような展開になります。
本質を見失います。

理性も大事ですし、 感性も大事です。 大事なのは、バランスです。

信じるということは科学ではない。
それでいいのです。


多くの企業が、社長のカリスマ性を
持っています。
なにか、「不思議なもの」というのを
ベースにおいています。


科学というのは、1+1=2というもので、
だれも、これを「信じている」とはいいません。
「理解している」といいます。

一方、あのひとは自分を愛しているというのは
「信じている」というもので、
確証は「そのものには」ありません。

愛をみせろ!と言ったって、
石油ファンヒーターの宣伝みたいに
胸にメーターはつけられません。

脳の大脳前頭連合野(前頭葉)をさぐっても
そこには愛はないでしょう。
高波動品を身につけると精神レベルがUPする とか、
そういうものではないのが、
こころです。




しかし、
春というものが、地軸の傾きではなく、
わらびや こごみや風のあたたかさ などで
「感じられる」ように
現象を見て 信じ「続ける」ということができます。

科学で立証は出来ないけれど、
行動などを見て、信じ続けられるのです。

ここにはひとつキーワードがあると思います。
「おかげさま」です。

おかげさまの気持ちになったとき、
そこに、見えるはずの無いものが
はっきりと見えるのです。