ハッピーの原理2
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【あなたの宗教から見る】人間関係

右脳的に読み解く。

コーチングは
コミュニケーションスキルと問題解決手法と、
そこに伴走者が付くシステムです。

伴走者自体に必要なのが、
カウンセリング
マインド。つまり EQ、慈愛といった部分です。


これは、宗教観のない日本においてはいちから説明しないといけないので、大変ですが
多くの宗教は慈愛をベースに置いています
     非科学的=科学より下 というわけではないんですよ。
宗教観を取ると「自分の良心」となってしまなしいうでしょうか?また、ちょっとちがいます。


慈愛というものは、実は、昭和30年ころまでは、それも地域のなかでなんとなく、じいちゃんばあちゃんによって伝えられていたのです。
「なんまいだーなんまいだー」とか言うばあちゃんって、もうアニメの世界だけじゃないですか。。。たまーに、迷信っぽいことを言うと、「ばばくさい」って言われますけど、いまどきのばばは迷信もないです。。。

歴史的には、敗戦によって日本は「信じる」ということを失っちゃいました
(敗戦の直前の天皇を神とする 神道がいいという意味ではないです)。
 日本の宗教の歴史は
  先住日本人     アニミズム→
  天孫降臨日本人  鬼道→神道→仏教→→檀家制度→神道→→→→→→→葬式仏教→→→愛子様
                 ┃         ↑キリシタン↑明治天皇              危険な新興宗教、
                 ┃                                      ニューエイジ
                 ┃                              ↑敗戦(天皇人間宣言)
                 ┗出雲+伊勢

さらに、世代間の断絶や 地域が壊れてきたことによってままならなくなりました。
「心清く生きて」というのも、 すたれてきてるし。


 「念のため申しますと、宗教とは全く関係はございません」 と言うのが なにかを伝えるときのおきまりになっているのは 宗教への拒否感が敗戦以降あるから。
さらに、ぼうさんの銀座国分町(仙台で言うところの銀座・新宿)生態が、悪い影響に出ています。
 ぼうさんっていうと、笠智衆みたいな感じよりも、脱税しつつの夜の帝王みたいな感じがあるでしょう?宗教が悪いのではなく、問題を起こした一部組織が宗教だったから、宗教全体がそう言う目で見られる、というだけなのでしょうけど。

 でも、じゃあそういう なんかあの世の世界みたいなものとか、霊的なものとかをみんなが信じていないかっていうとそんなことはないんだとね。まだ。

[運がいい、悪い]とははみんな言いますよね。
年末ジャンボ宝くじを買ったかたは、実は 運を信じているでしょう?少しは。
確率だけを考えているなら、買える物ではありません。確率だけを考えているなら競馬のほうが期待値は高い。
お彼岸とかお墓参りするでしょ。
そうしたこともしていることを、あたまにおいて、聞いてくださいね。


慈愛については、0から説明していくのではなく、 自分の宗教で見直してみるといいと思います
せめて、親からの愛とか、自分の想いとか、もともと実はもっているものに気づけばいいことなんです。


宗教では、自分を超えた存在というのがあります。
概説的にはハイヤーセルフとか言いますが、
守護霊とかいうと理解は早いかもしれません。


まず仏教
仏教では、正確にはお釈迦さん自身は守護霊や魂の話は一切していません。
このように解釈されます。

 ガーディアン・スピリット(守護霊)=仏教では真我。
 スピリチュアル・ガイド(指導霊 )=仏教では観自在菩薩などの菩薩ら。
 ハイヤーセルフ(宇宙神)     =仏教では梵または毘慮遮那仏。

となります。
こまかくは下記:*1


次にキリスト教
キリスト教であれば自分をみちびく聖人。
(まあ、クリスチャンネームに使っていますよね. 守護天使(しゅごてんし)、聖霊かな。)

キリスト教のうち、ローマ・カトリック、東方正教会などで信じられます。
(「どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい」(ヨハネ一4:1)なんて言葉もあります。)


チベット仏教系。
チベット仏教系であればハイヤーセルフ、とかそういう もので説明されています。
ガーディアン・スピリット(人間を指導する守護霊)、スピリチュアル・ガイド(指導霊)、 ハイヤーセルフ(宇宙神)の区分けはとりあえずここではしません。



 で、日本は、そういう宗教にほとんどの国民が 所属していながら、それを信じないのがスタイルとしてまともと思い込んでいることがあって、 宗教を語りはじめると「あぶない、おかしい」と思われがちなのです。
 でも、もともと所属しているのに、知らないだけなのです。

ラブホテルのなかにいるのに、窓から、近所のラブホテルを見ながら「エッチィ」とか言っているようなものです。←なんてたとえだ!

 死をまぢかにするとか、身近に死を体験する。すると そこの目がひらけて、まあ、ちょっと、おりこうになりますね。それまでは、所属していながら、それを信じないのが普通です

慈愛について*****>
たとえば、仏教で説明しますと、守護霊がいるわけです。
先祖霊とか、そういった部類でもあります。
この世というのは、まあ、こうやって パソコン打って、 めしくって、話して、みたいな世界ですが、 仏教ではこの世とあの世とつながっていることに、なっています。

で、この現実世界にあるあなたは、大きな浮く風船をもっているとイメージしてみてください。

つまり、みんなが、マツモトキヨシの新店舗OPEN!の風船をもって歩いているようなもんです。
で、その風船が守護霊です。

で、この世のあなたは、ここで うそもつくし、むくわれない思いとかをもってたりするけど、 その風船のところにいる守護霊は 守護霊同士で話しているんですよ。


みえみえなので、思いをよくしないと、 上ではかなり 恥ずかしいわけです。
いまふうでいえば、「はずぃ」です。。。

それは、思いとかの世界だから、うそのつきようがない。
この世で、下でうそこいているけど、上では守護霊同士がホンネで話しているわけです。

 そこで、守護霊は、あなたの直感とか第六感とかを通じて、導くわけです。
「こいつやばいから、離れないさい」とか。
でも、守護霊は所詮自分ですから、(飯田史彦先生はさも、ハイヤーセルフが神様みたいに  「みんなお見とおし」の賢者みたいなことを言ってますが、 まあ。あれはみんなに簡単にわかりやすくに伝えようとしてやっている確信犯的な方便かもしれません)自分のレベル程度です。ちょっと自分より賢者ってくらいです。

 (正確には、守護霊は良い方向に導くんですが、 一方で、おなじように風船として曇りがついている場合があります。 これは、解釈の問題で、守護霊は善玉で、悪霊とか憑依だとか悪魔だとか言うわけですけど、曇った守護霊もあるとも考えられはします。まあ、解釈の問題です。
 で、守護霊には、実は自分もその守護霊チームの一員しして参加もしているそうです。
よいことを思っていると上のほうを向いて、 悪いことを思っていると下のほうを向くのは、自分が守護霊的な働きをしているというわけです。


 
だから、結果 上のほうの守護霊同士はツーカーで話し放題でいますから、下のほうでは類は友を呼ぶということにもなります。また、意識していいひととつきあうと その世界に導かれていくということがあるのです。

 たとえば、このあいだあったんだけど「すごいひとが経営的な話をするらしい!」って言うんで行ってみたら、マルチの説明会だったときがあったんです。
 それが、なんか別なファックス系のマルチの集まりとなんか雰囲気が似てるんです。それは、会場になっていたホテルの受付を見た段階で感じました。。。なんか、これ、やなかんじと。

 それも、なんていうか、集まっている守護霊たちのにおいみたいなものかと思います。



 あと、たとえば、天使系のヒプノセラピーやっているひとたちのお客様の集まりも、また、その明るいものに魅かれるされど傷ついた魂という感じの守護霊の集まりという感じだし、 まひかり系とかは、いろいろ分派しているけど、似てます。来ているひとのにおいが。

あとなにかな、企業系の倫理法人会もそうだし、
特定の異業種交流会もそういうふうにある色がなんとなくある。後光というか。。。が似ている人が集まっています。


つまり、そういう世界観をもつと、スキルってのが、実に表面的に思えてしまうときがあるのです。
CTIでハグとかのトラスト系のワークで、そういった本質的なところをおしえ、 受講したひと達が、ソースセミナーとかレイキとかに入っていくのは、もっと深くなっていくわけで、 逆に、へんな体質がもともとのある資格会社は どうも、表面的なスキルを大声でやるようなところがあって、 それに魅かれる人自体が実際、新風*とかに魅かれるタイプと似ていて、 すごく素直でいいひとが、ある意味だまされて、最初に60万円なりでぼられて、つかいものにならない認定書をもらい、 けっきょく、その後も「コーチはコーチを雇え」とか言われて、2年くらい古参のクライアントになって、30万円をさらにおいはぎされて、ようやく気づいて抜けていく。。。残ったのは、本を読めばわかるようなロジャースの傾聴の理論。。。。だけ。



これは、
キリスト教でも同じ。ミカエルとかマリアとかに象徴されるけど、そういう精霊がまあ、守護霊ですね。
キリスト教だと
ルシファーという堕天使と悪魔が 動物霊の感じで 精霊と神様が ハイヤーセルフ側に位置している。

ルシファーは神界の天使だったのですが、悪い事をして神界から追放された天使ですね。
中世ヨーロッパの人たちは、ペスト菌の大発生やポルターガイストなどは、サタンやルシファーの責任にしていた。

(※ルシファー Lucifer は 七つの大罪:傲慢の象徴。)

つまり、 ハイヤーセルフは
プラスは明るく・前向きに・積極的に・夢を持って・目標を持って・プラス思考で・愛と感謝の気持ちで・素直な心で・勇気をもって…といった心を 本体とします。
 一方、動物霊、悪魔、邪気の類は、暗く・後ろ向きに・人を恨んで・憎んで・妬んで・傲慢で・偏屈で・マイナス思考でですね。


で、「人は神そのものである」という教えはたくさんありますけど、つまりこうした守護霊とか天使のありかたに身を任せると言うか、
本来の光の存在の自分に戻るというのがまさに「慈愛」なわけです。



 Lucifer(ルシファー、ルシフェル)は「明けの明星」を意味し、「光を掲げる者」、「朝の子」などの称号を持っていた。「明けの明星」とは金星のことで、この星が夜が明けてからも最後までその輝きを残すことから。
 このような称号にふさわしく、ルシファーは堕天する以前は天使たちの中でもトップの地位にいた。大天使長という最高位にいて、かつ神からもっとも愛されていた天使であった。唯一神の玉座の右側に侍ることが許され、天使の中でも最高の気品と美しさを備えていた。
 サタン
 ルシファー
 乗り移った蛇
 年経た蛇、ドラゴン

  がイメージされる。

七つの大罪 Seven Cardinal Sins は

 キリスト教神学の七つの大罪は、デーモンの形となって表されることがある。ハンス・ブルクマイアーは、七つの大罪、すなわち、傲慢、嫉妬、暴食、色欲、怠惰、貪欲、憤怒の七つの罪を一枚の絵に表す図像をつくりだした。
 
 中世には、デーモンは動物の姿で表され、孔雀の羽根を備えたデーモンを中央に、
 傲慢がライオン、嫉妬が蛇、暴食が豚、色欲がサソリ、怠惰が熊、貪欲が狐、憤怒がユニコーンの姿となって表されている。

 そして1589年、デーモン学者ペーター・ビンスフェルトは、それぞれ七つの大罪を司り、人間にその罪を犯させる力を持つ七人の悪魔のリストが作り出した。
 このリストの悪魔の選択は本来のデーモン学の歴史からは逸脱したものであるが、通俗的なグリモアでは頻繁に使用されることになった。

Pride(傲慢):ルシファー(ルシフェル)
Envy(嫉妬):レヴィアタン(リヴァイアサン)
Gluttony(暴食):ベルゼバブ(ベルゼブル)
Lust(色欲):アスモデウス
Sloth(怠惰):ベルフェゴール
Greed(貪欲):マモン
Wrath(憤怒):サタン

惑星 美徳 大罪 象徴 人間の部分
太陽 希望 怠惰 ロバ 生命力(霊)
月 貞節 嫉妬 犬 心霊力(魂)
水星 知恵 暴食 豚 知性(精神)
金星 愛 色欲 熊 人間の聖性
火星 勇気 憤怒 狼 動物的な下位の要素
木星 忠実 傲慢 孔雀 高級な羨望
土星 慎重 強欲 ハリネズミ 肉体
(フレッド・ゲティングス 『オカルトの事典』)



めも:





めも:
心の透明感は反省によって手に入ります。
*1
大日如来は本名を,摩訶毘慮遮那仏(マカビルシャナブツ)と言い「真言密教の本尊で,宇宙を照被する大日輪を意味し,一切世間の万物を哺育する慈母..」(広辞苑)

密教(日本では真言宗・天台宗)以外の仏教では死後極楽浄土に生まれたり、数々の修行を行って仏にされると教えているが、密教では正しい修行を積めば、あらゆる人がこの身このままで仏になれると言う「即身成仏」を説いている。

密教の教えは宇宙の真理である大日如来の教えであるから真理を追究することは人間の能力では理解することはきわめて困難である。ところが密教以外の教え(=顕教(けんぎょう))は衆生を救うために仏が人間と成ってこの世に現れた釈尊の説かれたものであるから理解はし易い。
密教は絶対の仏である法身大日如来が自らのさとりを永遠に説いている教えであるのに対し,顕教は相手の資質能力に応じて説かれる仮の教えで,釈迦如来・阿弥陀如来などが教主である。
密教と顕教の違いは、法身仏の解釈の違いにあります。毘盧舎那如来は、自らは説法をせず、衆生を救うには自らの代理としての無数の説法する仏を宇宙のあらゆるところに派遣します。これに対し大日如来は、直接衆生に対して真理を説きます。ただし大日如来の教えは象徴的表現が多く難解で、特別に修行を積んだ人間だけが理解でき、一般の者には知ることのできない秘密の教え(=密教)とされています。

凡夫は自覚が無いが、本来仏陀と同質であり、誰でも仏菩薩の種子を具備しているので、迷いを滅却して、究めれば成仏に至る。

 更に密教では、菩薩道の遠い道程も短縮され、身と口と心を活写すれば、「速疾に」大日如来と同体となり、煩悩多きこの身のままで、成仏に到達すると云うのである。