■知的なとらえ方
●ありのまま ひとそれぞれをみとめる
◆ありのままがつらい。
リストカット・アームカットという行為があります。「自分が愛せない」と言えばとりあえずの説明はできるんでしょうが、どうも違う。
愛してほしい、きちんと関わってありのままを愛して欲しいというのが思いだと思いますけれど、そこから思いがねじれていきます。
◆ありのままを受け入れなかったできごと。
つまり、彼女たち(女性が多い)は、なにかきっかけがあります。それは、攻撃されたということ、たとえばレイプや暴力、あるいは恋人から中絶を強いられたりという絶対的な攻撃があったりします。
もうひとつは、とうぜんあるべき愛がないという、相対的な攻撃。つまり、親が本来は愛してくれるはずなのに、愛してくれない、恋人が、夫が、親友が、友達が、地域が……、話しを聞くと胸がつまるくらいに冷たい。
そこで、2つのこころの動きが生まれてしまっていると感じます。
見ていると、美容整形と、小さな子どもが頭にリボンをつけるのと似ているような気がしたことがあります。「自分が悪いからだ」と「もう傷つけないで」というねじれた思いです。
◆「自分が悪いからだ」
自分が悪いということはないのです、本当は。本当は、せめられるべきは加害者です。でも、戦うことができない。たった、2%の自分の落度でも、全部の100%の過失として引き受けてしまいます。
◆「もう傷つけないで」
「もう傷つけないで」と言う意味で、自分が今、傷ついていることを見せようとするのかもしれません。「もう十分に(このように)傷ついているので、もう傷つけないでください」と言いたいのでしょうか。ある意味、だれかの人間性に訴えようとしているのかもしれません。「もうこんなに、傷ついているから傷つけるのはやめようとか思う人間性に訴えよう」と。あるいは、守ってあげたいという気持ちを求めるひともいるかもしれません。
逆に言えば、この論理が通じないところもあります。南米の殺人や強姦が横行する地域で、いくら両腕の自分の血を見せても、関係無く強姦され殺される現場がそこにはあります。
◆「自分を嫌い」
オーバードースは「自分を嫌い」とか「自分を罰したい」気持ちがあるように感じます。でも、あなたをそのままで好きなひとはいるからね。
でも、自分をだめだと思ってしまいます。自分をだめだと実感させる現実ばかりはあふれ、ありのままの自分を受け入れてくれる場もひともそんな時間もつくれない日本がここにはあります。とにかく、ありのままを受け入れる社会ではないです。
そんなんですから、春に世の中が芽ぶくときに、自分だけがだめだと思いリスカをしたり……。
でも、そうなら……。
だから、逆に、ありのままを受け入れられる社会はつくれなくても、ありのままを受け入れられるひとにはなれるかもしれません。あなたは。自分は。
やさしいひとを、さがして歩きつかれたなら、さがさないほうがいいでしょう。やさしいひとに、そのひとりになれるかもしれません。
「ありのまま ひとそれぞれのペースをみとめる」と言うのは簡単なことですが、社会がそうなっていないことを意識してください。そして、それは、あなたが「ありのまま ひとそれぞれのペースをみとめる」ひとになれば、光がそこに生まれます。
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