「スピリッチュアル」に対する姿勢  
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●「スピリッチュアル」とスピリット
 協会では講座を、表面的なスキル、知的な段階、スピリットに関わる段階の3つの段階に分けてあります。

 この、スピリットというのは、最初の企画ではスピリッチュアルだったのですが、これを一段世俗に戻したところに、 協会の線を引こうということで、スピリットとしてあるのです。

 「スピリッチュアル」については、おかしい点もあるものもあるよねと思います。
 もちろん、スピリッチュアルをほんとに科学的に証明するものが出たら、完全に取り入れたいと思います。
 今は、基本姿勢として、スピリッチュアルと科学はもともと違うものなので、科学で証明する必要もなく、信じたい人が 信じていればそれでいいのだと思います。  

●霊的な「経験」はありません。
 この協会の線は、生まれ変わりのところに引いてあります。
 理事(自分ですが)は、霊的な経験はありません。
 そうしたところには、懐疑的でもありませんが、実体験はありません。
 厳密に言うと、ハワイで80度ほどの頭上に漂う3から5機のUFOの円盤 (明星程度の大きさと光度でクククッと 直線でも曲線でもな い動きをするもの)を見たことはあるのですが。まあ、「スピリッチュアル」とはまた別物のようです。
(宇宙人によるものか、アメリカ空軍が秘密に作っているとか言う、地球上のものかもしれないのですが。  わざわざ年末12月30日の深夜でした。
 見間違いなくUFOは見ているのですが、幽霊の出るという 仙台の躑躅ヶ岡の古マンションのエレベータや前にヒュー** アカデミーのあったところ(ピンクの色の服を着た女性の幽霊が頻繁に出ていたらしい。今はカットハウス)でも、 わざわざ行きましたが、会うことはできませんでした。


●懐疑的な気持ちもあります。
 生まれ変わりや愛を説く宗教家自身のおおかたが、とても信じていない生活をしていることです。
 これは、実にわからんです。
 演台ではあんなに熱弁で、観衆は感激と拍手なのですが、本人はちがうことやっているのです。
 高額なセミナーや、CDを売ってたり、著書では奥様のことを書きながら恋人と飲み歩いていたりする。 あなたの前世は、多妻制度の国なのですね。
 説得するパフォーマンスが上手なだけだけです。
 福祉の必要性に熱弁をふるう政治家が、トンネル会社をつくって 福祉施設からのキックバックで 私腹を肥やしているのと同じです。


●線をひいている「生まれ変わり」についてわからないこと
 スピリッチュアルの境界線はここだと思います。

 さらに、わからないのが、この世でおこることの矛盾です。
 1:起こるものが全て必然であれば運命は全て決まっているとすれば、 そのなかで自由意志すらもはじめから選択がきまっているんなら、輪廻転生して生まれ変わる意味がない。
ディズニーランドのアトラクションのように、目の前におこることは 自分の選んだものではないから学びもないということです。
目の前で、プーさんが蜂に追いかけられても、それはディズニーランドのビジター次第で 変わるものではありません。
 
 2:逆に必然ではなく、そこに自由意志があるのであったら、 この世におこることのなかには、必然のものと事故とがいり乱れます。
 全てが必然とはいいがたいわけで、はじめに生まれたときの計画ではこんなはずではなかったものが アクシデントとして起こります。(無謀な誰かによっておこされる)。
 極端な例では、たとえば、転生後の学びをしようと思って生まれた少女が、 ある学びのなかで「くじけて」自殺しようとした男性のまきぞいで、死んでしまうというようなものです。
 あるいは、多くの人に影響を与えるひとの「学び」と、それに影響されるひとびとの「学び」が同時進行しないということです。
たとえば、この日本において、不況を原因、あるいはきっかけにした殺人や自殺というものが多くおこっています。 これは、竹中平蔵の学び具合によって、かなり影響を受けていると思います。いや、もっと、本質をさぐると総量規制をした橋本龍太郎の学びですか。。。 ?あるいは、ブッシュ、あるいは、ビン・ラディン、、、彼らの愚行によっておこったことは、ほかのものにとっては 必然ではなく事故です。

 つまり、そう考えると、誘拐されて今まさに殺されようとしているのが、計画→学び というところからはずれた   その殺そうとする側のひきおこしたアクシデントということもあるわけで、そう考えると、全てが必然 (失業も病気もすべてがはじめから選んだ計画された学びのものなので、順調にことが行われている)とはいいがたいのです。
 さらに、前世や、ハイヤーセルフ(霊的な自分を超えた存在)の証言があるにしても、 古代歴史学者が自分の学説に合わない発掘物を隠蔽するように、 そうではないことをどれだけ採用して採用の中立をたもっているかどうかがわからないということです。
 ハートとダイヤのカードだけを取り出して、「これがトランプですよ」と見せると、 うそではないけど、そこには誤解が生じます。

 つまり、抽出という行為が、事実というものでうそ(伝える側の意図)をつくることになるということです。


●否定するとなんにもならない
 でも、「スピリッチュアル」は肯定すると救いがあるけど、否定するとなんにもないのです。
 いままさに、理不尽なことがおこっている。
たとえば、 若い女性が病気で死にそうになっているというときに、「スピリッチュアル」は救いになりますが、 「スピリッチュアル」の否定の言葉はその女性には時間の無駄です。

これは「よほどの意味があって」という考えと「たまたま」の考えのせいです。
 自分の人生をつまらなく見るのは簡単です。
すべてを「たまたま」でとらえます。
 「たまたま」ここに生まれ、「たまたま」あの小学校に入り、「たまたま」だれだれと友達になり、 「たまたま」ここに就職し、「たまたま」だれそれと知り合い、「たまたま」結婚し、「たまたま」。


と見るのと、  「よほどの意味があって」ここに生まれ、「よほどの意味があって」あの小学校に入り、「よほどの意味があって」だれだれと友達になり、 「よほどの意味があって」ここに就職し、「よほどの意味があって」だれそれと知り合い、「よほどの意味があって」結婚し、 「よほどの意味があって」。


と見るのとは生きる姿勢がちがいます。
 これはなんとなくひとと出会うのではなく、「一期一会」という見方でひとと出会うことにも似ています。
「よほどの意味があって」という考えが「スピリッチュアル」で、「たまたま」は唯物論的な見方だからです。

 スピリッチュアルに対してはあってもおかしくないよね、、、別に否定はしないし、興味があります。
 ただ、今は、「死ななきゃわからない」し、 輪廻転生には「わざわざ過去のことを忘れて」生まれてきたという意味を考えると、そこばかりを追求するのは トラの巻き(アンチョコ)をひろげながら試験を受けるようなものだから、いいのかなと 思います。

 その世界のことの中には、なにかしら救いというものがあるということを踏まえて、 その中で信じるも信じないも自由だと思っています。


●日本では異常なほどに宗教とか道徳がない。
 日本は、総理大臣は天皇が任命するけど、戦後 神道を失いました。
 (神道の宗教性は、日本書紀や古事記を見ると藤原不比等にちょっと尋ねたいこと多いですが、、、 恵比寿と蛭子が混在している点、騎馬民俗と鉄器と朝鮮半島の件) すっかり無宗教になった上に、じいちゃんばあちゃんがちぎり絵とかパソコンとかやってるばっかりで 宗教を語らなくなりひとの道を子どもに伝えなくなったこともあり、 もうそういうこころの部分はガタガタです。
 一方で、宗教的な話は、統一教会、オウム事件もあり ひいてしまいます。
 日本は政治については、連合赤軍事件があり、ひいてしまったし、、、なんか いいのかなと思います。



●こころに裏づけされていないスキルは後日トラブル
 ガイダンスでも話していますが、日本においては  洗脳系の「ブレークスルー」という自己啓発セミナーを行う (この区分は違うと思うのですが→)コミュニケーション研修会社が 、バブル崩壊と、マスメディアからの摘発により売れなくなってきたため、それに代わる商材としてコーチングに目をつけたと いうことがあり、かなりねじまげられたコーチングが、堂々と売られています。
広告やパッケージに惹かれて買うほうも買うほうではあるのですが、いずれ、そのセミナーと基本的な姿勢が同じなので、 と言うものが、一時的には使えても長続きしないばかりか、へんな錯覚を覚えてしまうものになっています。

 「ブレークスルー」は、過激なワークショップによってすでに(研修会社によって→)予定された気づきを 得るというものです。
問題点は、過激に精神を揺さぶるワークショップを行うのに、心理的な専門家を配さないで 行うことと、すべてのワークショップの意味づけが 各自にあるのではなく「そういう答えだからあなたはだめ(さあ、 生まれ変わろう!)」だったり、ほめたり罵倒したりの感情の揺さぶりジェットコースターで、感覚を麻痺させて、最終段階に、 このセミナーであなたは生まれ変わった、その証としてこの素敵なセミナーを広めることをコミットメントしよう! というやりかたにあります。
(資料掲載)  結果、「ブレークスルー」という自己啓発セミナーから出たコーチングの資格会社は企業研修を頻繁に行っていますから、 椅子を向かい合わせたワークショップ を親業からパクリ、その原理も理解しないまま(助言についてのスタンスなど、明確に答えられない)  張りついた笑顔と、 「なるほどぉ」を連発する管理職を増殖させています。
 そんな、表面的なスキルとしてしか伝えられないために、結局は一時的には使えても長続きしないばかりか、へんな錯覚を 覚えてしまっています。
 それが単にこころに裏づけされていないスキルであることを、部下と言う人間もそれほどばかではありませんから、 気づきます。
そして、気づかれたときにかえってこじれるという現象をおこしてしまうのです。
 協会では、本来はEQのところを重視してワークを行っています。
慈愛とも表現していますが、 ひとがもともとひとつだったことを感じるということ をその最終EQのところで感じてもらえたらと思っています。
 カウンセリングでいう「カウンセリングマインド」の部分です。

 この慈愛というものが、「現象です」。
そして、その本質にあるのが「スピリッチュアル」で、 本当は「スピリッチュアル」を説いたほうがわかりやすいのですが、日本では宗教が広く浅くバラバラですから、 、特定の宗教を持ち出せませんし、 せいぜいスピリットというラインをひっぱって、そこでなんとか伝えようとしています。

仙台コーチング協会のプログラムでもEQ(分かりやすく、慈愛 としてます)を重要に考えている 根拠でもあります。 表面的なスキルでコーチングをおこなうのは、例の資格会社みたいにバックにへんなものを持っていたりするのは、もう根本からまちがっていると思うのですが、かえって 人間関係をこじらせると思います。
 
 さて、上に掲載したのは昭和18年2月に印刷されたものです。この内容はほとんどコーチングです。だから、新しく発見された!!!なんてのは、おおうそです。だいたいにして、確信犯だと思いますが、みなさんゴードン博士のリーダー訓練法はもう読まれました?  上に掲載した「指導者の心理学」でも、最後にしめているのは、伊達政宗や吉田松陰、徳川家康、水戸義候、荻生徂徠です。  これは、諸外国であれば、その地の宗教で占めるのでしょうが、日本は、宗教を語ると なぜかひいてしまう(みんな葬式あげるくせに)ので、こういう手段があるのだと思います。 ある程度、 宗教観などの違いなどがあるし、受け入れるとかそういうのではなく、 知識としてここにほうりこんでおくこことにします。

 イエスが水の上を歩いたという奇跡の話があります。
 でも、ぼくたちにとって大切なのは、土の上を歩くということです。
 そして、それ自体がぼくたちにとって 水の上を歩く奇跡よりも価値のあることなのです。