影は光の強さ。  
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◆影は光の強さ。
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ポジティブシンキング系のHPが
けっこう楽天の中には
多い。
わたしは、「がはは笑い系」と呼ぶ。

それはそれでいいと思うよ。
たとえるならば、いい明るいハッピーな映画。
楽しくなるし、足取りも軽くなる。

ものごとはそれだけでまかなえるものは
たいてい使い勝手が悪い。
行政の建てる複合施設なんかはほとんどそれだ。



もうひとつ、

こころのなかには、いわゆるネガティブってやつもある。
みんな隠そうとするあれ、
こんなの持っちゃいけないんだと思うアレ。

でも、ほんとうにそうかな?

 おこったり、
 悲しんだり、
 めげたり、
 さみしかったり、
 くやしかったり、
 ねたんだり、

それも、こころだよね。
大切な 自分からのメッセージ。

こうした、
◆影は光の強さ。という考えは
実は、バッチリメディというやつでも使う。

SCIはそれで、ちょっと説明しています。

つまり、ひとを支配しようとする バインという花
それは
きちんとエネルギーが流れていないから、そうなっているだけで、
すんなりと流れるようになると
指導力であったりするというわけ。。。

潔癖症が
よく流れると
きれい好き。
花はなんだったかな・・・。

つまり、潔癖症なひとは、「きれい」ということに
「価値」を持っているわけだよね。
それは、そんなのぜんぜん気にしない、
お部屋荒れ放題のひとにはない感覚

だから、それが、爆発しているのでなく、
活かされたときには
お部屋荒れ放題のひとにはできない
きれいな演出ができる。


喜怒哀楽

すべての感情は宝だから、
おおい隠そうとしないで
大事にする。

でも、この社会だから、どこでもだれにでもだすのは
それは、無理だと思う。
うーん、よく知的障害者のイベントでは逆に
「うらやましい」とか言われることがあるのではあるけれど、


「場」によって、いわゆるネガティブなところを出す。
出せる場、ひとを、ひとりでもいいからもてると
いいよね。

感情が目詰まりしてませんか?
好きな人に「好き」と言っていますか?


ネガティブもおひさまにあてると
なーんだ、みんなあるじゃないだし、
そうよねーだし、
だから、出してしまえる場を
つくれればいいよね。

まぁ、それを受けるのが自分でもいいけどさ、、、
(それはかなりつらい作業です)



さて、そうしたつまり、潔癖症なひとのにとっての「きれい」というような「価値」をわたしたちは
どこで身につけるんでしょう。


これは、

インナーチャイルド(ヒプノセラピーの一部分でもある)
を調べていくとあります。

つまり、
よく出てくるのは過激な例
アルコール依存の家庭や、暴力やら、性的虐待やら、
いじめ。。。
そういうのもあるけど、逆にいうとそれはわかりやすい例で、

実は、わたしたちのなかに、ぜんぜん隠された過去なんてきつい経験レベルでなく、
むしろ「思い出」というレベルのところに
その価値があるんです。

つまり、なんとなーく愛が十分に表現されなかった家庭とか
しつけとか
じいちゃんの家訓とか
お約束事とか
祖父母の対応とか
ふとした親からのひとこととか
テレビや漫画とか
歌とか
小学校の時の友達とのことだったり、

すこし大人になると

映画とか
恋愛とか
トラブルとか
事故とか

そういうものが、いつのまにか

なんか、いつもこのパターンあるなあということに
なっていて、
どうもそこに自分はこだわっちゃう。ひていしちゃいたがる。つい、ムキになっちゃいたがる。ということがあるようです。

そうそう、これはだれかにいじわるしたり、すねたりするとき、それは恋人なんかに対しても、
罰をあたえてやろうと思ったときに
わかります(仮定してみて)
。つまり、自分にとってのいっちばんショックな罰を与える(ことが、相手にも罰だと思っているから)です。

たとえば、連絡取らないとかだったら、自分がそれをやられるとガンとくるし、
きつい言葉で傷つけたりだったら、自分はそういうのは言われたくないだったり、、、。

そうして、今度はそれをインナーチャイルドと重ねていくと
どうも、自分はそれに対してたなぜ、「価値」をもたせているんだ?こだわっているんだというのが、

どうも、多くは子供時代(ひとによっては恋愛時代)に
ショックなことがあったか、あるいは、
あるいは、逆に過保護なくらいにあったか、のようなのです。

つまり、70,80点に与えられていたものは価値がなく、
0点、、、、氷点下のものと
100点満点、、、うんにゃ200点!といったもの
にどうも弱くなうようなのです。

で、その弱さ自体が感受性として
大切な、宝として機能する。
その宝が、こんどは、ひとをつつみこむ
マフラーになれるといった
構図のようなのです。。
 (まとまってないね。。。後日!)

罪悪感や、屈辱感や、劣等感、不安感
になっているけど、
それは
正しいと認められたい
とか
勝ちたいとか
とか
守ってほしいとか
のびたいとかだったり、、、。

だから、それは、言ってみれば
傷なんだけど、それは、レコードの溝みたいな傷で
それ自体が
きちんとメロディをもてる宝だし、
傷を受け止めることができたときに
すとんと
「ああ、こういうことだったんだ」と
学んだとき、宝として輝くと思うのです。

本当の強さ。弱い自分を認めることができることは強いということ。