形骸化
NEXT・BASE
最近いろんなコーチングのワークを見て
ワークショップの形骸化を感じる。
たいていが、
コーチングの言葉の説明(COACHってブランド知ってます?
COACHって馬車の意味なんです。
トレーニングとは違うんです。
参照:http://www1n.mesh.ne.jp/nuak/test/ks_nua/houkoku/2003/0302.html
「コーチの語源は(Coach=馬車)で、トレーニングの語源は(Train=列車)です。トレインは運転手が乗客全員を同じ目的地に向けて運ぶものであり、コーチは乗客が決めた目的地に導くものです。まさに、自律的・自発的に動くものなのです。」
あとは、話すことがコミュニケーションではなく
聞くことのほうがコミュニケーションという話。
聞き方の表面的なスキルの説明。
うなずき
おうむがえし
フィードバック(相手の要点をまとめること)
ここに、良質なコーチだと
「気持ちを汲む」の大切さを入れる。
これをロールプレイングしてみる。
2人ペアにして、話させて
そこで気づいたことを教えあう。
ここで、品質の悪いコーチは
ここで話されたことが他言されないという約束もなく
会話の安全を保証しない。
ここで、表情や首のかしげなど、表面的なスキルの教えあいはけっこう簡単。
やってみて、わかることがあるというのがワークショップ
だれでもがやってみればいいこと。
おそらく、
小学生殺傷事件から広がる学校内こころのケアも
教育委員会がしきるとこういうストーリーになりがち。
たしかに、やらないよりはいい。
こわいのは、
それで、もういいと思うこと。
相手をわかったと思いこんでしまうこと。
本当に大切なのは
相手とのこころのシンクロとポジティブ度+1
こころがなく
スキルだけがひろがると
問題はかえってこじれることもある。