葬式
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自分の親に対して「ありがとう」を気持ちをこめて頭をさげる
たぶん、諸外国にある宗教がそのよきものの部分であって、日本はそれを 葬式仏教にしてしまい、
宗教は宗教としてなりたっていません。
まあ、ゼロではないのでしょう。たしかに、お経をあげて、葬式をあげないとなんかよくないような気がするのですし。
ただ、なぜ、坊さんはああも夜の街の檀家周りをするのでしょうか???葬式のときの領収書をなぜ出さないのでしょう?
(ここからは、一部の命の電話をやっているとか、コーヒー説法をやっているといったまじめなお坊さんは除外して話します)
仏教も日本の仏教は不思議です。たとえば、戒名です。あれは、キリスト教で言うクリスチャンネームです。
ほんとうは、ひごろから寺にかよったり、奉仕したりしてその入信の証として
クリスチャンネームならぬ戒名をもらうのですが、今は、坊さんも昔みたいに境内を子どもの遊び場に開放とかしないですし、
家族をかかえているせいもあり、門戸は葬式と○回忌とお墓参りの時用にひらかれるのが普通で、
信者というか檀家はその寺への奉仕をお金で埋めるわけです。ひごろ家族とかかわらないパパにかぎって
高額なプレゼントを贈るというのと同じです。
戒名も、実質上、買うわけです。
で、わからないのは、葬式のときにあげられる意味がほとんどわからないお経がなんの効果があるのでしょう?
死んだ人は、もうそれまで生きたところで 六道をこれから選ぶわけです。本当は、7日ごとに6道の道が提示されるわけで、
早い人が7日目に、次の転生へのステップに行き、遅い人が49日めに次の転生へのステップに行くわけです。
それなのに、まず、葬儀会館は遺体をそのまま生で受け入れるのですが、
寺はいやがるんです。焼いてきてください、となります。
チベットとかでは49日まで遺体をそのまま生にしておくのですが、日本は たいてい亡くなって
2,3日でお通夜やって、葬式やって、
その足であるいは翌日に火葬場で焼いて骨にして、そのひのうちに7日供養をするわけです。
たいていは、その状態では、亡くなった人はその場にただよっていますから、
実際はたいへんな苦しみというか寂寥感を感じるわけです。
行き先がきまってない、自分の慣れ親しんだ体が焼かれる、、、とほほです。
葬式のときにあげられるお経で、行き先が変わるというのもいいのかな?と思います。
推薦入学?下駄を履かせてもらうということ?
お経という法力によって救われる?救われていいのか?それって、裏口入学じゃないか???
なぞです。
法力もあるのかなぁと思う葬儀にあうときもあります。
霊感0の私でさえ、これは故人は寝たきりになって4ケ月意識のない状態でそのまま亡くなったのを、
一人娘が世話をしていたなんてときに、
ただよっているメッセージは「ありがとう」「ありがとう」です。
でも、なんかわけのわからない一般論を話し始める。。。
木魚がドラムに、鐘がシンバルに、頭にかぶった帽子が着物の帯をふざけてつくった被り物に見える瞬間です。