宗教
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●人間はひとりの例外もなく死ぬから、宗教ができた
これについては、かれこれ、30年前の倫理社会の課題発表がベースですから、
いきなりスタートは早いかもしれません。課題は「なぜ宗教があるか」でした。
「人間はひとりの例外もなく死ぬ」ということから、死への恐れを回避するために
宗教ができたというレポートだったと思います。
現在は、、死への恐ればかりでなく、死と苦しみを回避するために宗教を得たというふうに考えています。
これは、逆にみると、生き・楽しむわけで、生きがいをもつためにということになります。
ところが、現在の日本の宗教は、死と苦しみを回避するためのものでは無くなっています。
●日本の宗教の歴史:自然崇拝〜各地の為政者崇拝
日本には アニミズムという自然崇拝がありました。
そこに、歴史的に見ると、日本の先住民族を支配したおそらくは韓国から来た現在の日本民族の先祖のいろんな部族が
日本の各地で 原住民の縄文人やら、もしかするとアイヌ系の顔した日本人を制圧します。
各地を治めたいろんな部族を、最終的に、現在の天皇家の系列が制圧しました。
日本をというよりも、正確には西日本をです。この時期、天皇家向けの神話があったはずです。
神話というのは、ヨーロッパの諸侯がそれぞれに神託を受けて王になったとか、そういった
伝説を備えたもので、光り輝く鳶とか、そういうのが出てくるわけです。王になり統治する意味づけを神とかにおくことで、民衆を納得させるものです。
この、神格化による納得効果を真似たのが麻原彰晃で、麻原彰晃が空を飛んだだの、時間を飛んだとかの伝説が作られていたのはご存知のことと思います。おそらく、麻原彰晃が、あの凄惨な事件をおこさずにいち宗教の教祖としてだけおさまっていれば、彼が死んだ後には飛んだ飛ばないの事実はもうわからなくなってしまい、彼は空を飛んだことになったはずです。
まあ、そうした伝説が各地に、各地の為政者によってあったはずです。
●日本の宗教の歴史:紀記の編纂
それが、藤原不比等によって日本書紀と古事記に編纂されます。
編纂というのは、つまり、ただ口伝えのものを字にしたということではなく、
各地にあった伝説を、天皇を頂点にしてまとめるということです。
つまり、シャンパンのグラスという各地の為政者の伝説で、
「天皇を頂点にして」シャンパンタワーをつくるようなものです。
そこで、どうやら、蛭子と恵比寿がダブってしまい、事代主命と大国主命が ごちゃごちゃになっています。
蛭子と恵比寿は広辞苑を調べてもその混在ぶりがわかりますし、
事代主命と大国主命は年末に配られる神社の神宮大麻を見ると2種類の神宮大麻が
存在することでごちゃごちゃになっていることがわかると思います。
伊勢というものと出雲というものが2大勢力であったことも読み取れます。
で、この神道は、天皇を頂点にした伝説なので、そのなかにもまあ、学びはあるのですが、
死への感覚が他の宗教とは違います。つまり、天皇のために死ぬという発想があって、
個人個人は個を超えたハイヤーセルフのためでもなく、ハイヤーセルフが集合体となった宇宙のためでもなく、天皇のためにあるのです。
●日本の宗教の歴史:仏教が伝来〜寺檀制度
日本史で学んだと思いますが、日本には仏教が伝来して、天皇家もそれからずっと仏教で葬式をあげていました。
日本には宗教をちゃんと説法するぼうさんがいたわけです。今はあんまり説法しません。
ただ、室町までは、一般市民には墓も無く、そこらへんに埋められていました。
宗教観はありましたが、仏教がその全部ではなく、死んだら丁寧に葬るという程度だったようです。
それが、日本にキリスト教が伝来し、政治をおびやかすと見た幕府によって、
寺檀制度がひかれます。「だれでもが、寺に所属しろ」という施策で、寺=戸籍制度でもありました。
キリスト教に入信しないように管理させたのです。
●仏教の基本的な考えは輪廻転生からの「解脱」:極楽に行くこと
仏教の基本的な考えは輪廻転生(おぼうさんは「りんねてんしょう」と読みます。「りんねてんせい」ではありません)です。
ただ、これは、仏教のベースですが主軸は違います。
主軸を説明する前に、インドのことを話さないといけません。
手塚治虫の「ブッダ」という漫画では、菩提樹の下で、仏陀が輪廻転生の悟りをひらく(そうか、みんな命はつながっているんだ!)としていましたが、
輪廻の考えはもともとインドにある考えです。
仏陀が悟ったのは、その輪廻から逃れるということです。これはジャイナ教もそうなのですが、輪廻からの逃れ、つまり
極楽に行く「解脱」が主軸なのです。
仏教の場合、輪廻転生は苦なのです。愛別離苦がある世界だからと言うよりも、死んだらどうなるかを考えると
ああ、それは輪廻から逃れたくなるよね ということになると思います。
●仏教の基本的な考えは輪廻転生
まず、人間は死ぬと 3つの道が示されます。(もっと区分すると6道)。
ひとつは、仏になるということで、これが「解脱」というやつです。
なんかのクイズで「はい、ぬけたー」っていうのがありますが、あの感じと似てます。
ふたつめは、動物になる道です。ここに落ちると、もう解脱することはできなくなります。
みっつめが、転生。つまり、また人間になってやり直しです。
ですから、仏教は、転生するのではなく、解脱がテーマなのです。
この生まれ変わりは、ダライラマの言うところのチベット仏教のメッセージに残っていて、ここの教えが
ホスピスなどで救いのお経になっています。チベット仏教では、この死んだ後の転生がもっと詳しく語られます。つまり、死ぬと、いきなり明るい光が現れる。その光のなかにとりこまれれば解脱になるのですが、多くはそのまぶしい光をおそれてはいりこめないのだそうです。つまり、ほとんどのひとが解脱できないのです。
そのあとに、100もの神が現れるのですが、これにとらわれると、そこが動物になる道と、 象徴されますが、餓鬼、とか、鬼とか、そういう人間でないものになってしまう道で、そこに入るともう(ずっとずっとしばらくは)人間に転生できないというのです。
そこを抜けると、また人間になってやりなおしというわけです。これが49日の間におこるのです。
日本の仏教は、こうした輪廻転生からいかに解脱するかがテーマなのです。
だから、「輪廻転生しましよう」とかには価値がないわけで、
いかに解脱して極楽浄土に行けるかがテーマなのです。
「また予備校で会おうぜ」ではなく、大学で会うのがテーマなのです。
●日本の宗教の歴史:明治天皇の神道〜敗戦による天皇の人間宣言
日本から宗教が消えたのはいつでしょう。これは実は敗戦でではなく、その前に、明治政府になったときに、
明治天皇の御写真を全戸に飾られるなど、神道になるわけです。
廃仏なんとかとか、なんとか習合とか 高校の日本史でやりますよね。
この運動には、江戸幕府の寺檀制度への反発もありました。
それが、近代戦がはじまり、みんなは天皇のために死ぬわけです。
お国のためというのも同じ意味です。
神道では死ぬと氏神になるという発想ですから、輪廻転生という考えはありません。
で、まあ、このとき、日本人は生きがいがなくなっていきます。死にがいです。死ぬことが美になっていきます。
結局、日本は戦争に負けて、天皇は微妙な位置に置かれ、そのころには、仏教もなんだか
境内が子どもの遊び場であるくらいで、宗教の感じがもうなくなってしまい、ますます輪廻どころか解脱を語ることもなくなり、お葬式で みんなの理解できないありがたいお経を読むという
葬式仏教になってしまうのです。
●日本の宗教の歴史:宗教がなくなる〜葬式仏教
宗教という、方便かもしれないし、真理かもしれないものがなくなり、
結果、死への概念や 愛別離苦への意味づけがなくなってしまったのです。
今の仏教は、輪廻転生をメインにはおきません。
一番極端な例が浄土宗でナムアミダブツととなえると天国(極楽)に行けるわけで、
葬式でもみんな輪廻転生ではなく、極楽に行けますようにという考えでお葬式をします。
ですから、生きるということも、その極楽に行くための徳積みでしかないのです。
それが日本だということを、まず、押さえてください。
●日本の宗教の歴史:ニューエイジとかいう運動やらなんやら
で、ここにおいて、方便を戻そうとしているのが、おそらくビジネス社で粟野と会った
船井先生とか
仙台で会った飯田さんとかのやっているニューエイジとかいう運動のような気がします。
こうした動きに対しては、それはひとの救いになるから
総合評価では いい活動だよとは 思っていますが、
すこし、論理的に判断したほうがいい点が多くあります。