察する
 
態度

なりきる

I think
うけうりはダメ
 
発声
 
 

ティーチングスキル

■表面的なとらえ方
●発声

■知的なとらえ方
●なりきる
●態度
●うけうりはダメ

■スピリット的なとらえ方
●察する


■スピリット的なとらえ方
●察する

●その感覚は、日本人において強く、アメリカ人において弱いものです。
 ですから、逆にアメリカでそうした察する力に代用できる、コーチングといった類のスキルを 作ってきたという経緯があります。
 包丁をちゃんと使えないから、フードプロセッサーなどの台所電気製品が異常に多いという現象 と同じ構造です。
 司馬遼太郎さんの文によれば、「アメリカ人の場合、自己を表現するということを、 母親や学校から徹底的に教えられます。まず第一に、自己を表現しなさい。第二は、 自己が正しいと思っていることをやりなさい。そして自己表現はアーティキュレイト(明瞭)に、 クリア(明晰)にやりなさい。また、相手に訴えるときはパーフェクト(完璧)にやりなさい、 ということを教えつづけます。そのため、相手の心を察する感覚が弱くなっているのです」 とあります。
アメリカのようなコミュニケーションスタイルは「察する」力を無くします。


●物事を「察する」には二つの方法があります。
 一つは思いやりであり、もう一つは推測です。
├●思いやり: 「共感的な察し」
 思いやりは日本が、推測はアメリカが優れています。
 ここで言う「思いやり」とは、相手の立場になって考えることです。人として触れることです。
「共感的な察し」と呼びましょう。
 共感の「共」というところが大事で、やさしい自分を持ち出してうえで生まれる「察する」です。

├●推測: 「客観的な察し」
 一方の「推測」はいろいろなデータに基づいて推察することです。
 「客観的な察し」と呼びましょう。

●全体は「推測」→「思いやり」
「推測」と「思いやり」を、わけて捉えてください。
推測は思いやりの代わりにはなりません。推測だけに走ると、 外面だけで相手を捉えてしまったと勘違いします。


●推測の順番とありかた
 相手を見ます。
 他人の全体の雰囲気を意識して見ます。
 頭を使い、気を使います。

 ここまでが推察です。
 わがままで、勝手で、人に迷惑をかけることにも無頓着で、 信念を貫きとおそうという強い意志をもっているような ひとでも、ここまではできます。察する頭の良さだけあればいいのです。

●思いやりの順番とありかた
 ですが、ここからは「思いやり」がなければ進めません。
 自分の心の中に相手という他者を作ります。
 同時に、他者の心に自分の心を写すのです。
 そこで、一緒に見るという体験の共有が「察し」の萌芽 になります。

 相手の心を自分の心で細やかに察しようとすることです。
 相手の気持ちを察する思いやりが無ければ、推察し演技をしても、いつかばれます。
結局は人の心を乾かします 。

●「ホスピタリティー」ともちがう
 これをまた、ホスピタリティーとして、挨拶、表情、身だしなみ、言葉遣い、態度を含めて、
「心からのおもてなし」「サービスの価値」「気配りや心配り」「心の大切さ、その心を表現する」
として技術をおとしこむとまた「客観的な察し」と同じことになります。
 表現スタイルを頭で覚えて、お客様のタイプにあった対応の仕方などを覚えることは無駄ではありませんが、 そこに相手の心を真に受けとめ、心を持ってお返しすることができるかできないかは訓練ではなく、たったひとる受け手の 気持ちひとつなのです。

●最近、低下している「察する」力
 「察する」力が低下しているのは、次のような社説でよく現れてきます。
「 「助けてください。」と意志表示していないんだから助けてくれるわけはない。日本的な「察する」「思いやり」と いう部分がいつまでも通用すると思い込んでいるのならば、 見直さなければならない。昔ながらの日本的なものがどんどん失われつつあり、「察することができる力」もまたそれと 同じように失われている。日本は、そのまま維持すべきものを簡単に投げ捨ててしまい、 早く修正すればよいものを意固地に保持しているということがあるのではないだろうか」

●「思いやり」の学習
 「共感的な察し」察する気持ちといった、「思いやり」はどのセミナーからも「学べない」ものです。

  なぜなら、気持ちは頭で「理解する」ものでなく,心に「伝わる」ものだからです。
ぬくもりを感じ取る心は、そのぬくもりから伝わるのです。
キャンドルの火が灯るように、火が灯っていれば簡単なことであり、
火が灯っていなければ容易ではありません。

ティーチングスキルの学習に?についてはEQ( 講座18:慈愛を高める )へ


・アテンダーは察する
アテンダーという仕事があります。アテンダーとは「介添人」の意味。ですが、
イベントで商品の説明をしたり、会場での案内を する仕事もアテンダーと呼称します。
このアテンダーの場合、大事なのは商品の説明をはっきりした発音でということもあるのですが、一番教育されるのは、聞いているお客さんの気持ちを察するということです。
つまり、なにかに急いでいるような様子であったり、あるいは、トイレにいきたそうだったり、説明に飽きていたり、もっと深く聞きたそうだったりの気持ちを、お客さんの小さな動きから察して、それに適した行動で返してやることです。

・下手な講演者は察さない
よく、講演などで、一方的に講演者が話し、それに飽きてほとんどのひとが眠っているという光景があります。

往々にして、行政のおこなうものに多いようです。
極端に、講演者自身がそうしたスキルの向上にこころがけていないというのがみえみえの光景もあります。
ある国の運転免許では講習というのがあります。どうやら、警察OBが日本で言うところの公安委員会に天下りしてくるようです。もと、警察OBのおじさんによる講演はスキルの磨かれていない、だらだらした話しぶりです。
それから、警察OBの会社で製作したらしき事故の悲惨さを伝えるビデオを見せられ、また、警察OBのおじさんの出番になります。
おじさんが手作りしたOHPを見せられて説明を受けます。
おまけに、「時間がないので、このへんで」で終わりです。(日本の話ではありません。。。たぶん)
これも、日本の話ではありませんが、飲食店を開くときに必要な、衛生責任者の講習もそうです。ビデオと退屈に思われてもかまわないと思っているような、だらだらとした講習です。
ハローワーク(まあ、日本で言うところのハローワーク)でも、 ビデオと退屈に思われてもかまわないと思っているような、だらだらとした講習。ビデオを作っているのがまた天下り先です。

聞く人の立場にたたなくても、お金は税金でまかなえたり、講習をうけることが国からの免許や資格になるというメリットがあれば、がまんしてみんなでその実りのない時間をやりすごしてしまいます。

・察する能力に自信がないなら「尋ねる」
民間のおこなう講習では、聴衆というお客さんに、まず「この講演でなにをききたいと思って来場したか」を聞いたり、「はい、これこれをこうだと思う人?」と問いかけて聴衆に手を上げさせたりして、キャッチボールをします。
聴衆に向かってアンテナをはるのです。

察するということは、神秘能力ではなく、アンテナをはることです。
アンテナ能力が弱いと思うのならば、「相手に聞く」ということでのキャッチボールがアンテナになります。この「相手に聞く」ということで、ほとんど解決ができることを覚えておいてください。

もちろん、察することが行き過ぎてしまうと、自分の感情や欲求を押し殺して しまったりするので程度はあります。心を察しないことにも、 心を察しすぎることにも問題点は潜んでいます。 両者が(対等という表現よりも)かけがえのなさにおいて同じ価値を持つと いうことだということです。 「相手の心を細やかに察しようとすること」と「 相手の気持ちは分からないのだから、むやみに立ち入らないように距離を置こうとすること」 は正反対に見えても、実はどちらも「人の心を気遣おうという志向が強い」という点で同じです。

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