■知的なとらえ方
●ありのまま ひとそれぞれのペースをみとめる
ありかたをみとめる
ひとを大切にするには、自分を大切にすることが近道です。
◆ひとは愛されていない、必要とされていないと感じるときに傷つく
ここは、ハグのところでも、説明していますが、
「ひとは愛されていない、必要とされていないと感じるときに疲れます。
ひとの気持ちがいちばん癒されるのは、自分のこころを包んで受け入れてもらったとき」です。
ところが、アメリカ化する日本では、ここがかなりいかれてきています。
今の時代は、ひとがひととして大事にされていません。あるいは、そういう大事にされないケースにでくわくことがすごく多くあります。
日本は、アメリカのように傷つけあう闘争し勝ち残っていく社会になりつつあります。それでも、そうした勝負になじめないひとや、あるいは、その勝負にやぶれたひとは行き場や居場所がないのです。
ところが、アメリカのようなセーフティネットがありません。
アメリカのようにカウンセラーも気軽に行けません。
教会だって気軽に行けません。昔なら、菩醍寺に行って和尚と話すというスタイルがありましたけど、いまはありません。ほとんど葬式のための宗教でしかありません。
親子関係もどうも薄い。この世相では塾に行っていて交流がなかったりします。絶対的に、家族ですごす時間も少ないようです。
友達もあたりさわりはないけれど本音で言い合いません。言うと傷つきやすいということもあり、いまひとつ遠慮がち同志の会話になっています。
そうしたアメリカ型社会では攻撃的なタイプが強い。
さらに、かなり自分を出すパフォーマンス型の人間、自分が絶対正しいと考えている攻撃型が生き残っていきます。
往々にしてそういうタイプのひとが主導して社会を創っていきます。アメリカがイラクで戦争をはじめたように、「理」さえも強者が作ります。理不尽な世の中です。みんなが、リングにあがらないといけないようになっています。リングにあがって勝った人が安定やお金を得る様になっています。
平和型や、争いが嫌なひとにとっては、生活しづらい世の中です。
やさしい思いでボランティアやNPOをやっているひとたちが、手弁当で汗を流して、そのまわりにいるのは生活の保証された役人様が出張費までもらって、そのイベントに関わったイベント会社やコンサルの用意した弁当を食べているような世の中です。
失業者がいます。45歳すぎるともう再就職困難者です。女性は30歳越えるとなかなか正社員の口がありません。一方で、弟が議員やってますなんていう50代のおやじが、なぜか国の出先機関に入社とかはある。ぜんぜんフェアじゃありません。
「自分なんか必要ないんじゃないか」と思う場だらけです。
失業して、なんどめかの面接に落ちたひとが休む場所があるんでしょうか?
続く
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