■知的なとらえ方
●慈愛
かけがえのなさの重さは同じです。
慈愛は生きとし、生けるもの全てに対するいつくしみです。生と死を繰り返すあらゆる命に対する限りない愛です。人はなんのために生まれてくるのか。。。
大乗仏教的愛といったものです。
生かしてやろう、育ててやろうというこころです。
いろいろな人生があり、ひとつも同じものはありません。それぞれが、同じようにかけがえがない。
これはたぶん、いろんなものに言えるのだと思います。愛情をもって大切にすれば、お金もひとも集まってくるのではないでしょうか。
大切にするという意味がまた「欲」ではない。。。宗教的ですね。
・慈愛
謙虚さがないと、ひとは壁を感じます。
謙虚さは近づきやすくて、愛される人間をつくります。
親孝行というものも、愛を育てます。
お墓参りでお墓をあらってきましょう。
あなたは、許しあい、寛大でしたか?感謝して、手放すことに執着しませんでしたか?
人生は慈愛がなければ空虚です。
●花を育てる
人間ではどうしようもない自然にふれる一歩めです。
植物は無償の愛の象徴的な形にもなります。
自然と接することが EQを高めます。
「早朝起きて、朝日を見ましょう」。つまり、朝日を見ながら絶望的にはならないものです。逆に、夜はたらいているひとに多いのですが、夕方起きて、そこから出るのがいやになる気持ちです。「やすんじゃおぅかなぁ」は、実は人間の体内時計からすると正当な反応かもしれません。(ただし、町田康さんの小説を読んだ後はだめかもしれません。朝日を見て、絶望的になっていたシーンがありました)
日向に出れば太陽があります。
明るい光は心を癒す脳内物質のセロトニンを造るのに役に立つそうです。セロトニンが少なくなると眠れなくなります。
自然は「私はまだ足りないのだ」という気持ちをやしないます。
●見返りを期待した贈り物をしない
ヒモつきのプレゼントはプレゼントではありません。
見返りを期待するとがっかりする可能性が多いでしょう。
見返りを期待はしないほうがいいです。よいことというのは、めぐりめぐって返ってきますから。いいことをした方向と違う方向から返ってきます。とんでもない方向から。
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