寛大さは伝染します

与えたものが相手にどんな利益をもたらすかを考えます
困っているひとを助けると勇気がでます
花を育てる

慈愛

見返りを期待した贈り物をしない
ネガティブな心と自慢話は失敗のもと
右脳
ひとを非難すると自分は進歩しない
 

慈愛を高める

■慈愛を高める
 No.1
 No.2
 ◆慈愛

■表面的なとらえ方
●右脳
●ネガティブな心と自慢話は失敗のもと
●ひとを非難することをやっていると自分は進歩しない

■知的なとらえ方
●慈愛
●花を育てる
●見返りを期待した贈り物をしない

■スピリット的なとらえ方
●与えたものが相手にどんな利益をもたらすかを考えます
●寛大さは伝染します
●困っているひとを助けると勇気がでます


 講座18:慈愛を高める

◆慈愛

・もともとひとつだった図7
慈愛とは、もともとひとつだったものがひとつなんだとわかることだと思います。
恋人だとわかりやすいと思いますが、手をつなぎたくなる心、つながっていたい心です。あなたは、同じ時代を共有しているあうことのできるひとたちをどう見ますか。自分と相手の、それぞれのズレをみるか、重なりを見ますか?。
重なりを見るのがたぶん慈愛なのだと思います。
そうしたつながりに目を向けることは、自分との出会いとともに大切な宝になると思います。
・つながりがみえなくなっている
現代では、つながりがみえなくなっていると思うときがあります。電車の中で、赤ちゃんがぐずって泣き始めると、それに顔をしかめるのはサラリーマンだけじゃなくて、おばさんもそのひとりだったりします。むかし子どもを育てた経験がなくっても、同じ女性で、子どもを連れていることに対しての「ほほえましさ」を感じられなくなったことに寂しさを感じます。
でも、現実って、悲しいことに、知らず知らずに傷つけていることもあります。争うこともあります。 そんな現実もふくめて、ふりかえってみましょう。
・疑おうの教育
最近の朝のニュースは暗いですね。朝ごはんを食べながら、「親子殺人」のニュースを平気でみて、 会社とか学校に飛びだしていくのはどうかと思います。
 よけいな話しですが、今小学校では不審者対策に、知らない人は疑おうの教育がされています。距離をとり、大声を出すというものです。 それ自体はしかたがありませんが、そうした環境のなか、警察はOBの公安委員会のために違反をしやすいところで ねずみ取りに待ち伏せで立っているほうが忙しいようです。校門のそばに立ってほしいものです。 ひとを疑わなくてすむような安全な地域をつくるのに、ぜひ力をかしてほしいと思います。
・わがままなやさしさ
たとえば、義務感からのやさしさがあります。ひとにはやさしくしなければいけないといった、 道徳の教科書を見て、やらなきゃ!とやる行為です。ほんとは乗る気でなくても、 まあ、やっているうちに気付きもあるし、それはそれで立派な行為です。
次に、崇高な思いのやさしさです。『クオレ』のなかにある「難破船」という話しにでてくる少年です。 自分より年上の少女を救うために、最後の救命ボートのスペースのために少女を海につきおとします。
あるいは、映画の『カサブランカ』のリック。「人助けの趣味はないね」「おれはだれのことにも首をつっこまない」 という心情の、失恋の傷をせおった男が、レジスタンス運動への想いを持ち直し、 「ここで、見捨てたら自分自身じゃなくなる」と、ヒロインとその夫を助けます。
次に、わがままとしてのやさしさ。実話『シンドラーのリスト』のシンドラー。 ユダヤ人を救うための活動をします。ここでのシンドラーの行為は、そのユダヤ人のためのいうよりも シンドラーのわがままでやっているというくらい、自分のものなのです。
あるいは、マザーテレサの活動。彼女の行動もまた、彼女の動きの根源は頭でひねくりまわした道徳ではなくて、 ハートからでてきた彼女自身のわがままだったと思います。
そういうひとを「精神レベル」が高いといいます。
◆人間らしく生きる、慈愛
・共鳴能力がないコーチは存在できません
いまさら説明?コーチの取るべき姿勢です。実はいちばん本質的な所です。リーダーシップでもそうですが、 すぐれたリーダーシップは、感情のレベルに働きかけるものです。明るい雰囲気はいい仕事につながります。 気分がいいとひとは最高の能力を発揮するからです。頭の回転が早くなり、情報の理解力があがり、 複雑な問題にもただしい判断をくだすことができ、考えが柔軟になるからです。
共鳴能力がないコーチは存在できません。なぜなら、伴走するためには、共感がなければ、 コーチングというシステム自体がなりたちません。
・醜さもあるということを認めて
愛には限りはありません。与えたからといって、減るものではありません。
でも、ときどき、そう思えなくなるときもあります。充分に愛されているなんて思えないときがあります。
 傷つけられることもあります。
 あなたの傷はどんな傷ですか?切り傷ですか?深い傷ですか?大きさはどのくらいの傷ですか?  今傷口はどうなっていますか?どんな色になっていますか?かさぶたになっていますか?
ひとを傷つける残酷さや醜さもあるということを認めて、ひとと関わってみましょう。
・ベースとなる心を磨いたほうが結果としては早い
本気で正直になったときに自分がどうなのか、それを見せてもいいと思ったら、技術はあまり問題がありません。 もちろん技術があってこそのコーチなので、これだけではコーチたりえないのですが、 テクニックを磨くよりも、そのベースとなる心を磨いたほうが結果としては早いのです。
きれいな絵を飾るとか、空気を感じるとか、実は人間らしく生きること自体がEQを高めることになるようです。 
・きちんと満たしておこう
自分の健康や気持ちなどをきちんと満たしておくことが大事です。コーチもクライアントも生身の人間で、 今日は機嫌がいい悪いとか、場所によっても感情がまったく変わらないということはないことも意識しておくべきです。
●宗教と慈愛とありがとう
 キリスト教は神の平等な愛とともにいまあるひとびとを同じように愛されたおなじひととしてつながります。横軸です。 仏教はいきとしいけるものが輪廻転生という命のつながりをもって、先祖、虫、食べ物、殺したもの、未来の子といった 魂のつながりをもって 愛を伝えています。縦軸です。
 ここにあるのはつながりによる愛で、それを実感できる、また、それを豊かにするのは「ありがとう」の 気持ちであり、言葉です。
こころを豊かにしたいのであれば「ありがとう」を使うことです。

 一方、為政者の持つ宗教は概してひととのつながりよりも、自分を超える存在としての 神のようなものとのつながりを期待します。そこには、愛は生まれません。

インドの苦行者は一生涯右手を上げたり、一生涯立ちつづけたりしますが、それはひととのつながりではなく、 それは心を豊かにするのではなく、 こころを強くする行為です。
しかし、そんな強さは意味がありません。
聖書に、
ひとが天使の言葉をしゃべっても、そこに愛が無ければむなしいものだ、とあります。
また、
天国はそこにあるここにあるというものではなく、ひととひととの間にあるものだ、という 言葉があります。

愛するものを持つということは弱いということです。
愛するものを持つということは強いということでもあります。
※たとえ、人間の不思議な言葉、天使の言葉を話しても、愛がなければ、わたし    は鳴るドラ、響くシンバル。あらゆる神秘、知識に通じていても、たとえ、山を移す    ほどの完全な信仰があっても、愛がなければ、わたしは何者でもない。たとえ全財産    を貧しい人に分け与えても、愛がなければ、わたしにはなんの益にもならない。
                           (1コリント13・1〜2)
     
※愛は寛容なもの、慈悲深いものは愛。愛はねたまず、高ぶらず、誇らない。見苦し    いふるまいをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数え立てない。不正を    喜ばないが、人とともに真理を喜ぶ。すべてをこらえ、すべてを信じ、すべてを望み、   すべてを耐え忍ぶ。愛は、けっして滅び去ることはない
                                    (1コリント13・4〜8)
  「愛は寛容で、情け深く、ねたむことをしない。高ぶらず、誇らず、無作法をしない。 自分の利益を求めない。いらだたない。恨まない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 すべてを忍び、信じ、望み、耐える。」
  ※神の国は、見える形では来ない。
  『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。
  実に、神の国はあなた方の間にあるのだ
       (ルカ17章20〜21節)

     
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