■表面的なとらえ方
●気合
■やる気があれば成功するのではありません No.2
◆アメリカの成功哲学はスピリットを見ます
さて、ここで、もういちど、さっきの成功哲学に戻って解説します。
カーネギーの指導のもと500余人のひとたちを取材し、成功の法則を見い出したのがナポレオン・ヒルです。のちの成功哲学ものは、ほとんどパクリ理論です。あるいは、偶然に似たのでしょう。
ナポレオンは成功者は熱意を持っていたことを大きく取り上げています。そこで「できると思えばできる」と誤解しがちです。あやしいマルチ商法にのっかるような、欲の皮のつっぱった、されどおひとよしたちは、こうした本をかかえて、「やればできる」と思ってマルチのクレジット契約書にサインをしてしまいます。盲目的にポジティブになってしまったひとたちです。「問題は心の持ちかたで解決できる。さあ!盲目的にポジティブになろう!」はマルチの親玉の台詞です。
「できると思えばできる」の『思い』を、ナポレオンは『非言語』と表記しています。
本書では、18のセクションを3つの場面の積み木で表現しています。「表面的なスキル、知的な段階、スピリットに関わる段階」の3つの段階に分けてあります。このスピリットに関わる段階が非言語の部分です。スピリットに関わる段階に成功哲学は着眼しています。
◆3つの段階
非言語とはなにでしょうか。非言語ですから言語というものがあるということです。
言語は本書での3つの場面の積み木では「表面的な」のところです。
1:言葉、言語は、他人からみれば口先です。
2:その奥にはいると知的な段階、脳、考えです。
3:もっと奥にあるのがスピリット、オーラみたいなものです。
逆に、本人から見ていくと、3:いちばん本人に近いところにあるのが、意識するかしないかはありますが、スピリット部分、魂、思い、です。もやもやとした構想や夢や「やればできる」と思う気持ちがあるところです。2:その外にあるのが知的なところです。計算やプランニングがあります。1:いちばん外にあるのが言語部分、ここに来てはじめて、だれかに表現することができます。
図解すれば、
▲1言葉のふきだしあるいは口、
▲2脳あるいは身体、
▲3天使のわっかあるいは後光かあたまからの思いのふきだし
になります。
言葉は店構え、知的は店内、スピリット・非言語は厨房とたとえたほうがわかりやすいかたもいるかもしれません。
◆成功者と失敗者のスピリットの明確度合
ナポレオンの見た成功者はこのあたまからの思いのふきだしがはっきりと「具体的に」描かれていたひとたちです。後光が輝かんばかりです。
一方、ナポレオンで踊った、マルチに勧誘されたひとはあたまからの思いのふきだしには、マジックで「やればできる」と書いてありますが、後光のパワーがよわヨワです。
思いこみの深さではありません。マジックではなくペンキで「やればできる」と書いて「ハワイの写真」を横に貼ったところで同じです。「やればできる」の字ははっきりしてても、構想がもやもや状態なのです。「おれは熱い!これは成功する!」と絶叫したところで、はっきりしているのはマルチの親玉がもたせたカラフルで立派な印刷のカタログだけです。
◆スピリットが明確化していないと計画ももやもやです
構想がもやもやだとどうなるでしょう。知的な段階でも考えようがありません。もやもやの状態のままです。さらに、言語のところもいいかげんなものになってしまいます。「現実」は言語のところにあります。
もとをたどると、思いの明確化が「現実」の成功いかんを握っているということです。
言語の段階の所がもやもやというのは、通常の事業であれば、事業計画書の大事なところが抜けているかもしれないということです。
・「この商品を買うのはどういう人?」
「この商品を買うのはどういう人?」と聞かれても、もやもやの状態では見えません。ブルー系?ホワイト系?。
「仮に広告のティッシュをまくとしたら誰にそのティッシュを配りますか?」「女性?どういう女性?」
今は、むかしよくあった「みんなのお店」というのがはやりません。21歳、女性、職業は**のためのお店というものがはやります。
もやもやの状態というのは、非言語の部分、つまりスピリット部分にあるのはマジックで書かれた「やる気」という文字だけで、あとはもやもやしているまんまなのです。
スピリットが明確化されているというのは、プランのすべてがはっきりとしているということです。すべてがですから、計画のバランスもとれているのです。
▲「なにをもたらすの?」
▼1『売り物はなにか』
▼2『どこの誰に売るのか』
▼3『その商品がもたらすものはなにか?』
を明確にしていきます。
ここ、具体的なるので、別な講座に飛ばします。
{事業プラン}を見てください。
続く
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