■リフレーミング
◆リフレーミングは「性格はプラスに生かされる局面がある」ということ
言葉のいいかえではなく、性格はプラスに生かされる局面があるということだと思います。
リフレーミングが活かされるのは、性格のマイナス面をみてしまうときだと思います。いいかげんなひとはつきあうのが気楽ですし、主役をはりたがるひともうまく司会役に活かせばみんながまるくおさまります。心配症のひとはある場合では気配りのあるひとであったりします。気が弱いと見えても、忍耐力があったり、思いやりがあったり、危険を回避できたりします。
バッチリメディ(フラワーリメディ)では、花にたとえて性格を分析する場面があります。
たとえば、あなたがクラブ・アップルという花(山りんご)だったとすると、潔癖性やささいなことが気になるとか自己嫌悪といったことがあるわけです。でも、それは、あなたのクラブ・アップルの性質がうまくでていないときの形であって、それが、うまくでると ありのままの自分をきちんとうけとめられる(他のタイプのひとよりもきちんと見るから)し、きちんと整理するとか掃除するとかきれい好きだったりして問題はないわけです。
たとえば、だれかがバインという花(ヨーロッパ葡萄)だったとすると、自信家で自分のやりかたを人を支配したがるといったことがあるわけです。でも、それは、そのひとのバインの性質がうまくでていないときの形であって、それが、うまくでると 他人に気配りできて、賢明で愛されるリーダーシップを発揮できたりして問題はないわけです。
◆コーチングの「リフレーミング」。
どんな現象やものをにも、考えればポジティブな側面があります。
そのポジティブな側面に照明を当てるのです。
クライアントの気持ちでマイナスに捉えているものの 全部あるいは 一部に対しての フレーム(額縁のイメージ)を「きれいなよきもの」に変えてあげます。
しかし、そのやりかただけを学習しても、使い物になりません。
リフレーミングはもっと深くて使える考え方です。
◆「リフレーミング」とはもともと。
「リフレーミング」とはもともと、「フレーム」つまり、認知の「枠組み」を変えるという意味です。
私たちは、いろんな現象やものを、そのまま見ているわけではありません。どんな出来事も、何らかの意味づけをして見ています。
たとえば、歩いていたら、むこうから歩いてきた女性が笑ったとします。 Aさんは「お、気があるのかな。(ニヤニヤ)」と感じます。
Bさんは「笑われた、なんかおかしな格好してるかな。(ガッカリ)」
人は同じ現象に対しても、違う意味づけをします。
いわゆる色眼鏡で見るというのはその極端な例です。
(アドラー心理学ではこれを統覚のスキーマと、他の心理学では認知バイアスと言ったりします)。
また、「意味のリフレーミング」と「状況のリフレーミング」というものを分けてとらえられます。
◆意味のリフレーミング
「けんかを売ってきた友達」に対しても「それでも、話しかけてきたんだね」というように見ます。善意の解釈です。
さらに、「事故にあってがっかりだった」という内容も、「事故にあったのがあなたでよかった。(あなただからのりこえられる)」「事故といういい経験をした」というようにさえ見ます。
これは、小説『しあわせなポリアンヌ』を見るとイメージがつかめると思います。
前に、どこかの宗教での合宿での講演テープというのをいうものを聞いたことがあります。そこで、ある女高生の体験談が語られていたのですが、その女性におこるのことといったら、不幸の連続なのです。
三益愛子の母子三部作という映画があるのですが、まさにその映画みたいにあれよあれよと不幸が彼女をおそうのです。そのなかで、彼女は「お経文」を唱えることで救われた救われたといっているのです。
なかでも、彼女はだまされているんじゃないの?と思ったのが、彼女の家の火災です。なんとそこで、弟を焼死で失うのですが、その火災のときに「お経文」を唱えていたので、おかあさんが助かったというのです。(この結論については後述します)
◆状況のリフレーミング。
人の持つ、色眼鏡の傾向というものを、違った状況に使ってみて、役に立つ場合があるということをイメージする。つまり、意味づけはそのままに、対象になる状況のほうを変えることを、「状況のリフレーミング」と言います。
ある人が、心配症の傾向があるとします。この傾向の意味づけが役に立つ状況を考えます。
この傾向は危険を察知できる慎重な性格ということでもあります。
この「状況のリフレイミング」を行うことによって、人は、自分のものの見方、意味づけ傾向を有用に使えるようになります。
◆カウンセリング上のリフレーミングの手法
リフレーミングでバランスを変化させる。
コーチングの場合は多くが「意味を変えて、とらえるほうの気持ちを軽くする」というところで終わっているケースが多いです。
カウンセリング上のリフレーミングの手法は、カウンセリングを受けるクライアントにありがちな、悪循環を断ち切る手法のときに使います。
見方を変えると、コーチングの場合でも、「あるひとの問題行動」→「相手を悪く思う」→「しかる」→「あるひとの問題行動」という循環を「相手を悪く思う」というところをリフレーミングで、断ち切ることに意識をもって使うと効果を得ることができます。
リフレーミングでの変化は、そのリフレーミングをした(善意に解釈した)ひとにはじめにおこり、そこから好転するのです。
◆たとえば。
たとえば、バランスを失ったような家族というのがいろんなところに存在していますが、それは、その家族のなかではバランスがとれているのです。 ただ、悪い位置でバランスをとっているのです。
その具体例で言いますと、妻が無口で暗くて、夫が外に女をつくって遊んで歩き、夫婦で家にいると陰険な空気で、それを見る子供がその居場所のなさにつらい思いをするというケースです。
これは、一般的な「家族」というものからするとバランスをくずしていますが、その現象の因果関係は、風が吹けば桶屋がもうかるのように、つじつまがあっている「循環」になっています。
循環しているのですから、その家族内ではバランスがとれているのです。がけっぷちでバランスがとれているやじろべぇです。「バランスがとれてしまっている」というほうが正しいでしょう。
そこで、これを改善したいと思ったらば、カウンセリングの手法のひとつとして、その悪循環のひとつの要素をリフレーミングをもって、ちがうものを放り込んでやるのです。
たとえば、妻がその環境を直したいと思ったらば、なんら問題は変わっていない、改善されていない環境ながら、とりあえず夜に帰ってきてくれた夫をありがとうという目で見て(きれいな明るいピンクと黄色の額縁に入れるように)明るく接するのです。
たとえば、夫がその環境を直したいと思ったらば、なんら問題は変わっていない、改善されていない環境ながら、口を聞いてくれない暗い妻が下着を洗濯してくれていることにありがというという目で見て(きれいな明るいピンクと黄色の額縁に入れるように)明るく接するのです。
ポジティブに変えて、気分などを改善します。悪循環というバランスを、あえて崩して、新たなバランスをとる位置探しをするのです。
◆さっきの火災の話。
さきほどの火災の女高生についても、その「お経文」って効かないんじゃないというのが、一般的な見方です。ですが、そうした不幸のなかにあって、彼女が「ありがとう」の気持ちを持ちえていて、明るくいられるという効果がそこにはあるというのも、現実です。
火災にあった。そこで、自分の不幸を嘆くことが、彼女の運命が光のほうに向かうことにもならないように感じます。
ですから、彼女にとってはいい結果かもしれません。
ただし、その宗教がどんな宗教なのかによるというのも、また事実ではあるのですが。
もともとの問題はたいしたものではなく、それに悪い対処した回りの者がことを大きくしているだけという目で一旦みてみると良いようです。
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