■質問→答え→行動
●コーチングが万能ではない問題性
コーチングはデパ地下で実演販売している万能野菜カッターのようには万能でしょうか?
◆コーチングの矛盾
コーチングは目標達成に向けてクライアントの自発的行動を促すスキルです。コーチングは非指示的なものです。
コーチングは一方で「答えはクライアントが『すべて』持っている」「クライアントの自律性をてこにする」と言っておきながら、一方で「コーチが提案や指示をする」という矛盾をかかえています。
「答えはクライアントがすべて持っている」ということは、クライアントの自律100%による目標設定なり、計画立案であるべきです。それなのに、コーチの提案や指示が入ってきたら100%ではなくなります。
よく見かける「クライアントの自律性を『尊重』」という言葉でも、100%クライアントの自律性による目標設定なり計画立案でなくてもいい意味です。
矛盾があります。
自律性はやりがいとか達成感の種になります。
指示を受容するというのは、自律性と対局にあるものです。
◆指示を容認するのは
マズローの5段階欲求は1:生理的欲求、2:安全欲求、3:社会的欲求、4:自尊的欲求、5:自己実現欲求です。ビジネスコーチングの場合、不況感や会社の規模によりいつ解雇されるかいつ倒産するか不安という1、2の欲求に不安がある状況ですと、4、5の欲求を満たすコーチングは求められないというケースもあります。まずは、公平な賃金や仕事の安定感の欲求のほうが急務なのです。
※実は、マズローは6段階目として、自己超越欲求もあげています。
フレデリック・ハーツバーグの二要因理論もあります。不満要因(上司や同僚とのきまずい関係、労働条件の劣悪さなど)と満足要因(達成、承認、仕事自体、責任、昇進)の理論です。不満要因がないことそれ自体はめったに満足感を生み出さないのですが、満足要因がある場合は直ちに満足感をもたらします。しかし、これは組織の下のレベルで働く人々にはまったく同じように適用できないと言われています。低い賃金や不安定な仕事のなかでは、非常に強い不充足感を持ちます。1、2の欲求がクリアされるならば、達成、承認のコーチングは有効ということです。
1、2の欲求がクリアされていない場合、クライアントにとって、指示はある意味楽でもあります。
また、1、2の欲求がクリアされていない場合、会社からの報酬=雇用や低い給与でも部下はほしがります。それが、不況で失業率も高く、再就職が困難であればあるほど1、2への固執度が高まります。子どもたちに限らず、おとなたちもお金をえるために手段を選ばなくなっている今の日本はこわれかけています。
◆緊急性の強い危機介入場面
カウンセリングでは受動的技法と積極的技法というのがあります。コーチングが向かない場面は、カウンセリングで受動的技法が向かない場面に似ています。つまり、緊急性の強い危機介入場面です。緊急性の強いときには指示というのはありうるかもしれません。
これは、象徴的には自転車同志がお互いに避けあって正面衝突するのに似ています。リーダーが必要です。
実は、この「緊急性の強さ」がコーチングが日本のビジネス社会においては結局コミュニケーションスキルだけのバラ売りになっている原因の2つのうちのひとつだと考えられます※。つまり、日本の経済環境が悪いということがすでに緊急性の強い危機介入場面の会社だらけということなのです。緊急性の強い危機介入場面の会社でも問題解決手法をはずし、コミュニケーションスキルのみは使えます。
つまり、「今話題のコーチング!」というタイトルで、コーチングをフルに使える会社が少ないから、結果、コミュニケーションスキルだけを教えるというやりかたです。昔、パソコンを売っていた手口です。「今話題のマイコン!」(パソコンをこう呼びました)というタイトルで、中小企業に高額なパソコンセットがはいったものの、使われるのはワープロソフトだけという光景です。
これが大手の会社や役所であれば、本人達は危機的だと思っているかもしれませんが、余裕はあります。「ボーナス4割カットだよ!もらったのはたった120万円」とか「ひどい時代ですよねー、ナイッスショット!あ、バンカー」とか言ってられるなら、大丈夫かもしれません。コーチングを導入するべきだと思います。
これは、コーチングの市場分析にもなりますが、ほんとうに問題解決手法まで含んだコーチングを必要としてそれができる会社(役所も)は、日本では癒着の強い世界です。 OBやら関連会社やらがあり、その決済権はほんとうはあってはいけないところにあったりします。ですから、わかりますよね。 ゴルフ場はそんなためにもあるのです。
(※もう1つの原因は、コーチング上に必要な「自分で考える力」の教育が日本は弱いということがあります。コーチングを導入するには「自分で考える力」の教育もしていかないといけないのです。考える資質はあっても、さびていて動かないのです。)
◆深い自己洞察を必要としない場面
仕事自体がルーチンワークというまったくの作業の場面もあります。マニュアルをきちんとやることが仕事である職業もあります。みんなの自律性を尊重すると、フランチャイズ先先でばらばらの対応やデザインになってしまい、総合戦力を欠いてしまうこともあります。大学入試センター試験の試験官がそれぞれの対応をしては混乱します。また、役所の場合はそのやりかたへの反省もあるのですが、一応みんなに画一的に平等にというのが行政の約束なので、自分で考えてやってはいけないことがあります。機構上は行政の「頭」は議会の承認ですから。この場合も指示というもののほうが動くほうも動きやすいのです。
ただし、深い自己洞察を必要としない場面でも、コミュニケーションスキルのみは使えます。
続く
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