■質問→答え→行動
●コーチングが万能ではない問題性 No.2
◆非指示的方法になじみにくいひと
受動的技法=非指示的方法ということです。
カウンセリングでは、非指示的方法になじみにくいひととして、知的発達の遅れているひと、自己決定の習慣に乏しいひと、父親的な依存対象を求めているひとを掲げています。
カウンセリングの現場では、なにをすればよいかわからないクライアントには積極的技法を、クライアントが比較的自律性を持っていれば受動的技法を使います。
良いことをしたらほめて、悪いことをしたらしかるというしつけがあります。そのおかげで、やっていけているのは事実です。極端に言えば、「罰」を与えられると、ひとが安心を感じる面があるということです。つまり、方向を教えてくれることで、楽になれるからです。精神科の治療法のひとつである「行動療法」もその考えがあります。マズローの5段階欲求の「親和の欲求」が関係しているようです。つまり、罰は集団によっておこなわれますから、罰されることで集団に帰属するという結果を得られるからです。
男性女性と性別も関係します。男性に強く責められたいと思う女性の心理もあります。
なにをすればよいかわからないクライアントにはコーチングのような非指示的なものはむきません。
カウンセリングでいう受動的技法になじまないクライアントの積極的技法依存度がそのままコーチの指示依存度になるかもしれません。
つまり傾聴のところでもあった、クライアントの段階、
「自発的で柔軟性をもっているならば傾聴技法だけですみますし、援助があれば動けるというひとには傾聴を主にして、積極技法は最小限にします。動きがとれるはずなのに解決策を講じられないひとには傾聴と積極技法のバランスをとりながら接します。動きがとれないひとには、積極的に働きかける必要がでてきます。」
と同じようにクライアントの段階によって対応が変わるということです。積極技法・積極的に働きかける、つまり、指示はそのクライアントの未熟成が確認される場合のみおこなわれるべきです。
しかし、積極的技法依存度の判定はどうやって決めるのでしょう?
カウンセリングの現場でもこれは解釈が分かれています。たとえば、スクールカウンセリングで、生徒はまだきちんと判断できないからと、「指示」をカウンセリングのスタイルにしてしまっているカウンセラーも存在します。
◆実務でどうなるのか
コーチングの本では、文章では一見矛盾がないように書かれているものの、実務でどうなるのかわからないものがあります。
実例で考えてみてください。クライアントがネットで問題になっている3日で10万円の自己啓発セミナーへの参加をしようとしている。高額なファックスを使ってのマルチ商法に参加しようとしている。山師性の強い****のFCに加盟しようとしている。お金をマチ金で融通しようとしている。SOHOの求人だと思って登録したら95万円の専用ソフトが必要だというので購入しようとしている。
答えはクライアントにあるでしょうか?
コーチは指示をしていいのでしょうか?
◆緊急性の強い危機介入場面か
これは、いちに緊急性の強い危機介入場面かどうかの判断が必要です。失敗も財産と考える余裕があるならば、その状況に応じてくずれる橋も渡らせてみたほうがいいと思います。失敗とはいえ、人生にむだなものはないと思います。人生にはいつも、新しい出発が満ちあふれています。
自分でみつけてくることが大事だと思います。コーチはクライアントの選んだ方向がどうあれ応援することと、くずれると思う「理由」を簡潔に助言の立場でのべます。
くずれると思う理由をクライアントが聞いてたじろがないなら、成功するかもしれません。そのくずれると思う理由を聞いて、危険なところへのくずれない解決策をあみだせることもあります。生きかたがすべてを切り開くときがあります。また、成功ばかりが得るものではありません。失敗しても魂の修業になったという宗教的な見方さえあります。
また、ほとんどのことはとりかえしがつきます。授業料だと思えばいいこということがあります。
◆非指示的方法になじみにくいひとか?
クライアント・クライアントのコンデションが、非指示的方法になじみにくいひと・コンデションと見えるときは、コーチはクライアントの選んだ方向がどうあれ応援することと、くずれると思う理由を簡潔に助言の立場でのべます。賛成できない理由ではなく、くずれると思う理由です。
傾聴のところで掲げた「動きがとれるはずなのに解決策を講じられないひと」「動きがとれないひと」には、指示を求めるのかどうかを尋ねるべきです。ただし、概してひとは相手の問題解決能力を過小評価してしまうので、だれでもが「自発的で柔軟性をもっている」「援助があれば動ける」とみなして、積極技法を最小限にしたほうがいいようです。
◆自分の問題を自分で解決できるとみなす
ここで、「答えはクライアントがすべて持っている」という言葉に戻ります。クライアントはひとり残らず、ひとりの例外もなくだれでも自分の問題を自分で解決できるとみなすのです。
これはコーチがクライアントの問題解決の能力を過小評価しがちなので、コーチのいましめのためにある言葉です。
クライアントもさまざまで、クライアントの扱う問題がさまざまですから、現実は違います。すべてのクライアントが問題解決の能力を備えてはいません。
現実は違いますが、すべては助言的な色彩の強い提案であるべきで、指示はコーチングではありません。
「質問=>答え」「助言」「提案」ときて、
ここに境界線があり、コーチングをはずれて
「指示」「命令」となるのではないでしょうか?
ある意味、ずばり「*****という方法がある」と言うことはそう難しくありません。むしろ、クライアントから答えを導きだすことに比べれば楽な作業です。しかし、それはコーチングの本筋ではありません。
この「答えはクライアントがすべて持っている」という言葉は本当は「(目標達成のための)計画書を書くペンはクライアントだけが持っている」でしょう。
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