■知的なとらえ方
●自分と他人の同じところを知る

●自分史を描く
あなたが達成してきたことを教えてください。ひとは自分の経験で判断するものでもあります。
心、仕事、遊び、熱中してたもの……
自分の過去をどう解釈するかでこれからが○か×かが変わります。過去は未来によって変わります。どんな悲惨な過去であっても、未来が明るいものなら、そんな過去があったから、と評価されるくらいです。
過去の成功や失敗をみちびくのに影響を与えたと思えることを聞かせてください。
●自分との違いを知る
前述しているとおり、自分と他人との同じところを見つけるということは、愛情につながります。
当然、ひとというものはおのおのが違うものです。ですから、同じところもありますが、それぞれに違う部分もあります。
全体主義というものは、そうした違いを極力排除しようとします。ひとが、それぞれに違うというものを認めない。また、ひとつの方向においてのみ同じでなければいけないという思想です。
にんじんとだいこんとごぼうがあります。それぞれに、ちがう野菜です。といって、にんじんとだいこんとごぼうとのどれが優れているのかは、語るのはナンセンスです。にんじんはだいこんの代わりをできませんし、だいこんだってごぼうの代わりをできません。
自分と他人との違いを見たときには、3つのスタンスがあります。つまり、他人をその違いをもって下に見る「差別」と、上に見る「尊敬」と、同じ高さで見る「尊重」です。
ひとの人生のかけがえのなさがみんな同じように重いと考えるのであれば、「尊重」こそ正しい態度になります。
最近、ジェンダー運動への批判が出てきています。もともとは男女差別をなくそうという志のものでそれはなんら非難されるものではありませんでした。つまり、女性が「女性である」ということをもって「個人個人の違い、個性、才能、スキル」以前に排斥されてしまう環境は対等とは言えません。ですから、男女共生のために「女だから、女性だから」ということをもって差別されるべきではないというだれもが納得する考えです。
ところが、いつのまにか、「イコール」という言葉を多用し始め、グループ名にも「イコール」という言葉を謳って、男女が同じでなければいけないという運動にとなるころkから活動の方向が偏ってきました。
女性のジェンダー(社会の都合によって教育された役割としての女性のありかた、男性のありかた)だけではなく、セックス(生物学的な違い。ホルモンや寿命など)も否定しはじめるようになったことから、男女と分けること自体差別という考えになってきたのです。これは大学の社会学の机の上からの思想で、そこには違いをどうとらえるべきかではなく、違いそのものを否定するという妙な思想にとなっていきました。
つまり、女性ホルモンにとって有効な色ですが、女性はピンクを身につけるなという発想です。男性女性のトイレの青赤の色分けも差別ということになり、それでもズボンをはいた「ひと」と、スカートをはいた「人」の黒いシルエット図がそうした団体の発言力の強い施設ではよく見かけるようになりました。
しかし、社会的な男女対等の意識のためには男女の違いをセックスとして認めて尊重することが実は必要なのです。たとえば、女性でも残業ができるようにするためには、ただ残業を命令すればいいということではなく、きちんと女性だけに性的なハンデを埋めるために仮眠室をつくるなどの配慮が必要になります。
こうした仮眠室の設置という配慮が言ってみれば「違いを尊重する」ということなのです。
違いがあることではなく、違いをどうとらえるか。そこが一番大切なことなのです。
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